「楡馬」版−競馬辞典

―― その他編 ――
last update : 07/05/04


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【ダービージョッキーズステークス】【ダービースタリオンズステークス】【ダービーポジション】【タイムオーバー】【叩き】【ダンサー】【単枠指定】
ダービージョッキーズステークス
'88〜'91年の4年間、東京優駿当日に行なわれたダービージョッキーだけによるレース。
レース名が示す通り、ダービーに優勝経験のある騎手しか騎乗できないレースとして、東京優駿の1つ前のレースで実施された。レースの格は古馬900万円下、使用されたコースは芝1600m。ある意味、お祭りレースであった。
ダービージョッキーが一時期極端に少なくなってしまったので廃止はやむを得なかったであろう。しかし今なら5人、ミルコ・デムーロを加えれば6人存在するので、今一度復活させてはもらえないだろうか。と思っていたら、ダービーオークスで優勝経験のある元騎手による「ジョッキーマスターズ」が2007年4月22日開催されることに。たまにはJRAも面白い企画するじゃないの。(…にしても、一人で4回も勝つ欲張りがいるためにダービージョッキーが増えないんだよなぁ。独禁法で訴えられないのか?)
以下に、4回実施された騎手成績の内訳を示す。
騎手'88年'89年'90年'91年ポイント
田島良保6着1着5着4着39p
菅原泰夫2着9着3着3着39p
小島太10着3着1着5着38p
加藤和宏7着4着中止1着32p
根本康広9着2着4着6着30p
増沢末夫5着6着2着7着30p
大崎昭一1着8着8着10着27p
郷原洋行8着7着7着2着26p
岡部幸雄4着5着6着8着22p
中野栄治---9着2p
しかしこうやって眺めてみるとトンでもないメンバーである。岡部幸雄が完全に子ども扱いなのも頷ける。(ちなみにポイントは筆者が勝手に振ったもので、1着…20点、2着…15点、3着…11点、4着…8点、5着…6点、以下1点ずつ減点。中止は0点。なお、'88年は岩元市三の代打で柴田政人が3着になっている)
last update : 2007/04/20
first entry : 2006/11/28


ダービースタリオンズステークス
'88〜'91年の4年間だけ行なわれた、ダービー馬の産駒だけによるレース。某競走馬育成シミュレーションゲームとは何ら関係ない。
正確には、
  • 父が内国産種牡馬の場合は、父が東京優駿に出走し5着以内になっていること
  • 父が輸入種牡馬の場合は、父がダービーに相当する海外のレースを優勝していること
が出走条件である。「ダービージョッキーズステークス」の1つ前のレースで実施された。レースの格は古馬900万円下、使用されたコースは芝2400m。ある意味、お祭りレースであった。
以下に、4回の種牡馬成績を示す。
種牡馬1着2着3着4着5着6着7着8着9着10着11着
モンテプリンス
('80年東京優駿2着)
12
カツラノハイセイコ
('79年東京優駿1着)
11
エンペリー
('76年英ダービー1着)
111
シャトーゲイ
('63年ケンタッキーダービー1着)
1
カネミノブ
('77年東京優駿3着)
111
サクラショウリ
('78年東京優駿1着)
1111
マラケート
('76年愛ダービー1着)
1111
シンザン
('64年東京優駿1着)
11
カブラヤオー
('75年東京優駿1着)
11
ハードツービート
('72年仏ダービー1着)
111
タケシバオー
('68年東京優駿2着)
1
ビンゴガルー
('79年東京優駿4着)
1
トウショウボーイ
('76年東京優駿2着)
1
ロングエース
('72年東京優駿1着)
1
ハイセイコー
('73年東京優駿2着)
1
アローエクスプレス
('70年東京優駿5着)
11
タイテエム
('72年東京優駿3着)
1
ハクホオショウ
('72年東京優駿4着)
1
イングリッシュプリンス
('74年愛ダービー1着)
1
ロングファスト
('75年東京優駿2着)
1
一番成績が良かったのがダービー馬ではないモンテプリンスというのは何とも収まりが悪い気がするが、4回のうち3回がダービー馬から勝利馬が生まれており、モンテプリンスも差のない2着馬であったことを考えれば、それなりに意義のあったレースと言えるのではなかろうか。
それにしても、「ダービー」と名の付くレースに勝った種牡馬で良いのなら、インドのカルカッタダービーでも良かったのか。時代が違えばハクチカラの孫も出れたかも? それに、数年前にこのレースがあったらつまらなかったことと思う。だって、サンデーサイレンスってケンタッキーダービー優勝馬だからね。出走全馬がサンデー産駒ということもあり得たかも?
しかし、ダービージョッキーズステークスにしてもこのレースにしても、JRAは復活させる気はないのだろうか? 今は何でも多様化の時代。ファンにもこういった趣のあるレースを喜んで歓迎する者もいると思う。多様性の一つとして復活を考えていただきたい。(このレースはいっそ薗部博之氏にスポンサーになってもらえばいいじゃないか)
last update : 2006/11/28
first entry : 2006/11/28


ダービーポジション
日本ダービーを勝つ戦術として、第1コーナーで10番手以内の位置につけなければいけない、という考え方。
ときには33頭で行なわれたこと(第20回)もあるダービー。20頭以上で行なわれていた頃はまさに「最も運が良いが勝つ」レースであり、「運に左右されてたまるか」という唯一の方法が、スタートをすんなり決めて先行することだった。追い込みなどしようものなら20頭以上もを捌かなければならず、馬込みに包まれて出られずにオシマイ、ということも多かった。しかし馬連が導入されて全てのレースが最大18頭までと定められた'92年以降は別に10番手でなくてもよくなってしまい、“ダービーポジション”という概念は過去のものとなった。
“ダービーポジション”を無視して勝ったも勿論いた。有名なところでは第38回('71…28頭)ヒカルイマイと第50回('83…21頭)ミスターシービーミスターシービーの場合は第1コーナーを殆ど最後方で回り、直線だけで20頭をごぼう抜きして勝って見せた。常識は破られるためにあるものである。
最近は道中でのハデな牽制の仕掛け合いもなくなりレース自体がおとなしくて味気ない。やはりダービーだけは特別なのだから、昔みたいに30頭とかでやらせてみたらどうか。道中もハデに牽制しあって面白いレースが見られると思うのだが…。“ダービーポジション”が死語になってしまうのは惜しい。
last update : 2006/05/30
first entry : 2006/05/30


タイムオーバー
レース(重賞など番組で特に定めた競走を除く)に出走したが、当該競走の第1着馬の競走に要した時間(勝ち時計)より、下記の表に定める時間を超えて決勝点に到達したとき、当該競走の施行日の翌日から起算して1カ月間平地競走に出走できない(ただし、裁決委員がやむを得ないと認めたときはこの限りでない)。このほかにも出走奨励金の交付を認められない。
競走別右欄以外の競走平地の新馬・未勝利競走
ダートダート
平地競走
(オープン競走を除く)
1400m未満3秒4秒3秒4秒
1400m以上2000m未満4秒5秒
2000m以上5秒6秒4秒5秒
障害競走(特別競走を除く)8秒10秒
このような制裁があるため、力の抜きん出たが出走するレースには出走馬が集まらない、という事態が起こる。特に新馬戦で前評判の高いが出るときなど、その傾向は顕著である。
last update : 2006/03/26
first entry : 2006/03/26


叩き(たたき)
休み明けにレースに使うこと。「ひと叩きして良化する」「休み明けを一度叩く」「叩いて馬体がすっきりする」のように使う。
目標レースの前のレースとか休み明け初戦なんかで負けた時に「ここは叩きだから…」と言って言い訳にすることがある。しかしひどい場合はレースを走る前から「ここは叩きだから…」と勝つ気のないことを言う関係者がいる。『日本中央競馬会競馬施行規程』第72条では「競走に勝利を得る意志がないのにを出走させてはならない。」と記載されている。JRAはこういうを出走させてはいけないはずだが…。
last update : 2006/05/11
first entry : 2006/05/11


ダンサー
競走馬はとかくダンサーに喩えられる。かの Northern Dancer 然り、Native Dancer 然り、Nijinsky は伝説にして不世出のダンサー Vaslav Nijinsky (ワスラフ・ニジンスキー;1889-1950)が由来であるし、Nureyev もパリ・オペラ座で芸術監督を務めた Rudolf Nureyev (ルドルフ・ヌレイエフ;1938-1993)が由来である。あのか細いガラスの脚でターフを駆ける姿がダンサーに喩えさせるのだろうか。
last update : 2005/09/25
first entry : 2006/09/25


単枠指定(たんわくしてい)
以前は連勝馬券と言えば「枠連」しかなく、馬券売上の主力は枠連だった。単枠指定は同枠取消問題を解決する手段として考え出された。
例えば16頭立てで16番のが単勝オッズ1.0倍のようななのに対し、同枠の15番が100倍超のだったとする。ここで16番のが除外とかになると、「8−8」の馬券は買い戻されるわけだが、「1−8」や「7−8」といった馬券は買い戻されない。しかし大半の人は16番がくるものとして8枠がらみを買っており、8枠が15番しかいなくなってしまうと8枠がらみの馬券はほとんど可能性のない馬券に一変してしまう。これでは暴動が起きかねない。
この問題を日本中央競馬会が真剣に考えるきっかけになったのがハイセイコーである。第40回('73)東京優駿で、ハイセイコーは単勝支持率66%を集めた。もちろん連勝馬券の大半はハイセイコーのいる2枠から圧倒的に売れていた。しかし2枠に同居するのは16番人気のアイアンと18番人気のチェリービート。もしハイセイコーが取り消してしまったら…、と恐れたのである。
そこで翌'74年から単枠指定を実施することにした。極端に人気を集めそうなを初めから枠に1頭だけにしておけば、仮にそのが取り消したとしてもその枠がらみの馬券を買い戻すだけで問題はない、というのである。これなら暴動にはならない。ちなみにJRAは単枠指定するのは「そのの単勝売上が全体の3割以上を予想される場合」が目安だと説明していた(したがって3頭が単枠指定ということもあった)
単枠指定には2つの問題があった。1つは単枠指定の行為そのものがJRAの予想行為に相当する、というものである。単枠指定されたは人気馬ですよ、とのJRAのアピールに他ならず、公正さを欠くのではないか、と批判されたのである。もう1つの問題は、枠順の決定に際するもので、枠番抽選の際に最初に単枠指定馬の枠番を抽選し、仮に1枠をひいたら自動的にそのは1番に、8枠を引いたら大外(16頭立てなら16番)になってしまう、という公平さを欠いた枠番決定になっていたことだ。
こういった問題を含んだ単枠指定は、'74年皐月賞でのキタノカチドキを第1号に、'91年セントライト記念のレオダーバンまで実施された。単枠指定の問題を解決するのは、馬番連勝式の発売しかないと言われ、JRA競馬法改正に乗り出し、'91年10月から全国的に新馬券として「馬連」を発売。これをもって単枠指定は役割を終えた。(つまり馬連は高配当を期待するために生み出されたのではなく、同枠取消問題を解決するために生まれたものである)
last update : 2006/05/03
first entry : 2006/05/03



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【父内国産馬奨励賞】【着差】【着拾い】【中京競馬場】【調整ルーム】
父内国産馬奨励賞(ちちないこくさんばしょうれいしょう)
レースで得られる賞金の1つ。父馬が日本国内で生まれている場合に着順とレースのランクに応じて交付されるお金のこと。ただし交付されるのは2歳および3歳馬のみで、古馬になると交付されない。また、以前はGTを含む特別競走でも交付されていたが、2005年から大幅に縮小・減額され、現在では下記の表のとおり。
競走別1着2着3着4着5着
500万下条件50万円20万円13万円8万円5万円
新馬・未勝利戦40万円16万円10万円6万円4万円
※ 父内国産馬限定レースを除く。
父が内国産であっても、その父馬が海外に渡った後で種付けした場合や、日本で種付けされた母馬が海外に渡って出産した場合は、「父内国産の外国産馬」ということになるが、これは対象外。
last update : 2006/03/25
first entry : 2006/03/25


着差(ちゃくさ)
先に決勝線(ゴール)に到達したの鼻先(鼻端であって脚や騎手のステッキなどではない)から次のの鼻先までの間隔。
着差とタイム差の関係は以下の通り。
  • ハナ、アタマ差 → 同タイム (写真判定の対象となる)
  • クビ差 → 0 〜 0.1秒
  • 1/2馬身 → 0.1秒
  • 3/4馬身 → 0.1 〜 0.2秒
  • 1馬身 1 1/4馬身 → 0.2秒
  • 1 1/2馬身 → 0.2 〜 0.3秒
  • 1 3/4馬身 2馬身 → 0.3秒
  • 2 1/2馬身 → 0.4秒
  • 3馬身 → 0.5秒
  • 3 1/2馬身 → 0.6秒
  • 4馬身 → 0.7秒
  • 5馬身 → 0.8 〜 0.9秒
  • 6馬身 → 1.0秒 (これがひとつの基準)
  • 7馬身 → 1.1 〜 1.2秒
  • 8馬身 → 1.3秒
  • 9馬身 → 1.4 〜 1.5秒
  • 10馬身 → 1.6秒
  • 大差 → 1.7秒以上
ちなみにスピードの関係で、地方競馬では1秒=5馬身とされている。
last update : 2006/04/14
first entry : 2006/04/14


着拾い(ちゃくひろい)
1着を獲ることを諦めて、本賞金が手に入る2〜5着を、最悪、出走奨励金が手に入る6〜8着を狙うこと。トライアル競走で本番の優先出走権欲しさに2、3着を狙いに行く場合もこう呼ぶ。
レース中にの脚がなくなり、勝てる見込みがなくなってジョッキーが着拾いに切り替えるのはまだ許せる。だが、強いがいて敵いそうにないからとレース前から着拾いに徹するのは敢闘精神に欠けているとしか言えず、そんな騎手(または調教師、馬主は競馬界から消えるべきである。
着拾いで有名な騎手に四位洋文がいる。平場やただの特別競走などではそうでもないが、こと重賞競走となると着拾いの騎乗が目立つ。馬主孝行といえばそれまでだが、プロならば常に勝ちに行く騎乗を示すべきだ。
着拾いをヨシとしない騎手にデムーロと佐藤哲三がいる。特に哲三はファンの視線を気にするプロ意識の強い騎手で、例えば武豊が断然の1番人気で軽快に逃げているとする。他の騎手は着拾いに徹するところだが、哲三はあえてそこで武豊に競りかけていく。このまま1番人気を逃がしたのではつまらないレースになってお客さんをガッカリさせてしまう、と考えるのである。見上げた騎手だ。
last update : 2006/06/12
first entry : 2006/06/12


中京競馬場(ちゅうきょうけいばじょう)
JRAの10競馬場の中で唯一戦後に作られた競馬場。にもかかわらず、創設当初は芝コースがなく、ダートだけの競馬場だった。芝コースが敷設されたのは'70年のこと。所在地:〒470-1132 愛知県豊明市間米町敷田1225。
コース図
コースの特徴はJRAでは3つしかない左回り。平坦小回りコース。最後の直線は314m。芝コースは1000m、1200m、1700m、1800m、2000m、2500m、2800mが、ダートコースは1000m、1600m、1700m、2300mが設定されている。
主なレースは高松宮記念東海ステークスCBC賞
現在の開催は3月、5〜6月、12月。おかしいと感じるのは5月中旬頃の開催だ。その時期の他の開催が東京と新潟なのである。つまり全て左回り。この時期には左回り不得手なはレースに出るなってことか!?
last update : 2006/03/27
first entry : 2005/07/17


調整ルーム(ちょうせいるーむ)
各競馬場や栗東・美浦両トレセンに設けられた、騎手の宿泊施設。
JRAの説明によると、「競馬の公正の確保を期し、また心身の調整を図ることを目的として競馬開催の前日に、騎乗予定騎手全員が入室することが原則として義務付けられている」となっている。
「競馬の公正の確保」とは、騎手が外部の者と接触して八百長などをしないように隔離する、ということである。もっとも携帯電話が普及した昨今となっては騎手が馬券を買うことまで取り締まれないというのが現状である。
「心身の調整を図る」といっているが、2006年1月9日の中山競馬場の調整ルームの風呂場で、田中剛が江田照男と入浴マナーについて口論となりヘッドロックをかけるなど暴力的な行為のため、田中剛が騎乗停止となる事件があった。こんなことがあっても本当に「心身の調整を図っている」と言えるのか?
last update : 2006/06/07
first entry : 2006/06/07



<つ>
該当項目なし

<て>
【テイク・イット・イージー】【テキ】【出ムチ】【テレビ馬】【天才】【伝説のオッズ】【伝説の新馬戦】【伝貧】 【テンプラ】
テイク・イット・イージー
岡部幸雄の処世訓。
意味は「気楽に行こうぜ」。にこういう気持ちで走らせることを身上としていたらしく、レース中もに「イージー、イージー」と声をかけていた、という噂があったが、あれは本当だったのだろうか…。
last update : 2006/05/26
first entry : 2006/05/26


テキ
調教師のこと。 何故このように言うのかハッキリとしないが、戦前(競馬倶楽部時代)は調騎兼業(調教師が騎手を兼ねる)が一般的に行われており、「騎手」を逆に書いて「手騎」を「テキ」と読んだのではないかと言われている。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


出ムチ(でむち)
スタートダッシュの悪い、また戦法として逃げ先行したいとき、発馬直後にを入れて気合をつけるもの。「出ムチをくれる」という。
…とまぁ、普通は騎手が出ムチをくれるのだが、昔のフィルムを見ると、厩舎関係者とおぼしき人がゲートの後方に控え、ゲートが開いたと思ったその瞬間、長ムチでの尻をビシッ! これが本当の出ムチなんだなぁ、とショックを受けた。
last update : 2006/05/25
first entry : 2006/05/25


テレビ馬(てれびうま)
勝つことを捨ててハデに逃げてテレビにたくさん映るように目立とうとする。ちなみに、純粋に勝とうとする実力のある逃げのことは「テレビ馬」とは呼ばない。
もちろん自身が目立とうとして逃げるわけではなく、人間の指示でそういうことをする。多くの人が注目する大レースに出走できる運びになったが勝てるだけの資質はない、ならばできる限り目立って散っていきたい、と考える馬主が騎手に命じて大逃げを打たせるのである。
こういう陣営に批判的な人がいるが、レース前の予想を引っ掻き回す存在として、それはそれで面白いと思うのだが…。批判されるのを嫌ってか、はたまた昔のダービーみたいに多頭数でレースをやらなくなったからか、最近はあまりテレビ馬を見かけることはなくなった。
last update : 2006/05/30
first entry : 2006/05/30


天才(てんさい)
福永洋一のこと。
福永洋一は「この騎手で勝てなければ仕方が無い」と思わせる騎手だった。追い込み型のを逃がして勝つなど破天荒なことをして勝つことなどよくあった。その代表的なのが、1971年の菊花賞。前走の京都新聞杯を鮮やかな追い込みで勝っていたニホンピロムーテーを、レースが超スローと見るや、2コーナーで一気に先頭に立ち、そのまま3/4馬身だけきっちり押し切って勝たせてしまった。
大川慶次郎は生前、「天才は天才でも、武豊は“乗りの天才”。の邪魔をせず、気持ちよく走らせる天才。しかし福永洋一は違う。彼は“ジョッキーとしての天才”。レースを作る天才」と語っていた。また、福永の次に天才と呼ばれた田原成貴も「豊と洋一さんはちょっと違う」と言い、福永を「どこがどう凄いとは言葉では表現できない」とも言っている。
福永と同期の伊藤正徳調教師は、「彼は天才と言われるけども、をしっかり追わせたら右に出る者がいないだけの技術を持っていたから、どんな騎乗も出来た」と言っていることから、レースセンスだけでなく、卓越した騎乗技術あっての天才的な騎乗だったと言える。
勿論、地方競馬にも天才はいる。佐々木竹見、坂本敏美、千島武司など。世界的には昔はレスター・ピゴット、現在はランフランコ・デットーリ。
last update : 2006/11/28
first entry : 2006/11/28


伝説のオッズ(でんせつのおっず)
1990年2月12日、第39回川崎記念でのオッズのこと。このレースは南関東三冠馬ロジータの引退レース。川崎駅などに「ロジータ引退レース」という告知ポスターが貼られるなどまさにロジータ一色。単勝・複勝ともに1.0倍で全く動かず、他の出走馬の単勝オッズは全て万馬券という有様。
パドックから返し馬まで観客の目はロジータに釘付け。レースはロジータが先頭に立って逃げ、直線に入ってくると後続は全く追いつけず。2着以下に10馬身以上もの着差。場内実況では「これがロジータの最後の雄姿です」「今までありがとうロジータ」と絶叫。川崎のヒロイン・ロジータの引退レースに相応しい逸話である。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


伝説の新馬戦(でんせつのしんばせん)
1976年1月31日に行なわれた新馬戦のこと。何が伝説なのかというと1番人気で1着となったのが後の皐月賞有馬記念の勝ち馬トウショウボーイ。そして4着には後にTTGの一角として名を馳せることになるグリーングラス。5着にはシービークインがいた。
トウショウボーイグリーングラスが同じ新馬戦だったというだけでも面白い事実だが、問題は5着に入ったシービークインである。シービークイン自身はのちに毎日王冠を勝った牝馬であるが、この新馬戦でシービークインのオーナーである千明大作氏が、圧倒的なトウショウボーイのスピードに感激し、是非シービークインが繁殖入りした暁にはトウショウボーイをつけたいと考えた。そうして生まれたのが三冠馬ミスターシービーである。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


伝貧(でんぴん)
馬伝染性貧血のこと。ウイルスによる感染症で、特有の法定伝染病。感染経路は母馬から子馬への垂直感染、吸血昆虫の媒介による水平感染がある。
罹患すると重篤な貧血症状を起こす。まず40℃以上の高熱を発し、3〜4日で解熱後、1週間から10日間隔で同じような発熱を繰り返す。と同時に貧血の程度を増していく。重症例では虚脱に陥り、死に至る。ウイルスが変異する性質を持つため有効なワクチンがなく、完治は期待できない。よって真症馬の診断が下ると、蔓延を防ぐため殺処分となる。日本では'52年に約9000頭の伝貧馬が摘発。以後徐々に数を減らし、'80年代に入ると100頭を切り、'93年の2頭を最後に症例の報告はない。ただし、欧米やオーストラリアでは現在も発生が絶えず、この疾病の進入に対する警戒は依然必要である。
伝貧で有名なのはクモワカ伝貧事件である。'52年一度は伝貧感染診断を下されたクモワカだったが非感染を信じていた関係者が偽の死亡診断書を提出しクモワカを隠匿。その間も仔を生みつづけたことから非感染は疑いないとのことで、裁判にまで発展したこの事件は、'63年に北海道庁が非感染を認めたことによりクモワカの死亡が取り消され、その産駒の地位を回復することとなった。その一族からあのテンポイントが生まれたのだから競馬はまさに血のロマンである。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


テンプラ
血統を詐称してサラ系をアングロアラブとして登録すること、またそうしたのこと。
アングロアラブはアラブ血量が25%以上でなければならない。サラブレッドの血量が75%以上(アラブ血量25%未満)であればそれだけアングロアラブより速いとなり、アングロアラブと競走させれば有利となる。そこで「サラブレッドに『アラブ』というコロモを被せ」アングロアラブとして走らせようという考えが出てくる。
アングロアラブで強いが出ると「あのはテンプラではないか」と疑いを持たれた。セイユウ記念に名を残したセイユウをはじめ、そういったは多くいたが、真実のほどは定かではない。昔と違って現在は血統調査や個体検査がしっかり行なわれているのでテンプラは起こらないとされている。
last update : 2006/05/07
first entry : 2006/05/07



<と>
【道営ホッカイドウ競馬】【東京競馬場】【同着】【特払い】【特別競走】【特別出走手当】【どけ!】【渡世術】【栃栗毛】 【友引】
道営ホッカイドウ競馬(どうえいほっかいどうけいば)
日本最大の馬産地で行われている競馬。かつては函館・帯広・岩見沢などの競馬場も使われていたが、現在は札幌・旭川・門別の3場だけ。何とも寂しい限りですなぁ…。
馬券1点に1万円ほどつぎ込むと、そのオッズを下げることができる魅力的な競馬。
13歳(現在の馬齢表記で12歳)で交流重賞を勝ったオースミダイナーがいた競馬。
日本一早い2歳戦が見られる競馬でもある。故に全国の2歳馬の実力クラス分け競馬にもなりがちで、10〜11月頃になると道営の2歳上位馬は次々と南関東や中央へと流出していく。サプライズパワーやオリオンザサンクス、エンゼルカロなど。
逆に中央や南関東で通用しなくなったが転入してくる競馬でもある。しかも3歳以降に道営を出なかったに比べて中途半端に強いもんだから、古馬のレース番組がつまらなくなりがち…(道営生え抜きのが全く勝てない…)。かといって転入がないとやっていけないのも事実…。('99年に北海道三冠を達成したモミジイレブンが古馬になって、中央からの転入馬に全く歯が立たなかったのはショックだった…)
結局馬産地ということで、日本の馬産を下支えする存在になっていることは否めない。道営があるからこそJRAも競馬を開催できるのであって、JRAはもっと道営支援策を行うべきなのでは…?
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


東京競馬場(とうきょうけいばじょう)
現在の東京競馬場は1933年に開設。それまでの東京競馬場といえば目黒にあったが、目黒周辺の宅地開発が進んだため地代が高騰した関係で解体。現在の東京競馬場は府中市にあり、「府中競馬場」とも呼ばれる。所在地:〒183-0024 東京都府中市日吉町1-1。
コース図
コースの特徴はJRAでは3つしかない左回り。東洋一を誇る広々としたコース幅。そしてホームストレッチが525.9mという長さと高低差2mという急勾配の上り坂から、展開に左右されにくい、の実力がはっきりと出るコース設計となっている。
設定コースの中でジョッキーがもっとも気を遣うのが2000mのスタート地点。発馬してすぐに左急カーブがあり、現に'91年天皇賞・秋では武豊騎乗のメジロマックイーンが大外スタートから内側に斜行したために1位入線するも18着降着の憂き目に遭っている(繰り上がりで優勝したのは江田照男騎乗プレクラスニー)
日本競馬における主要なレースはこの競馬場で開催される。東京優駿優駿牝馬天皇賞(秋)、ジャパンカップなど。
場内には安田伊左衛門像、トキノミノル像が建ち、競馬博物館が併設されている。
1990年5月27日の東京優駿当日には、史上最多の19万6517名もの入場人員を記録した。
2005年10月22日の最終レースで、公営競技史上最高配当となる3連単・1846万9120円が出た。
last update : 2006/03/27
first entry : 2005/07/17


同着(どうちゃく)
着差がなく、同じ着順になること。「写真判定」の第3項でも述べたが、決勝写真を拡大しても「着差がない」と決勝審判委員が認めれば同着となる。
着順が下のほうで同着になるのは問題ないが、1着同着の場合は色々とややこしい。
  • 賞金をどうするか? 2頭が1着同着なら賞金は1着賞金と2着賞金を足して2で割ったものを折半する。これは2〜5着同着に関しても同じ。
  • 払戻はどうなるか? もちろん単勝は2通り発生するし、馬単もウラオモテ2通りだし、3連単も2通りとなる。ちなみに2頭が3着同着の場合はワイドが通常の3通りから5通りとなる(3着同士はワイドの対象にならない)
  • 勝ち数の加算処理はどうするか? の競走成績はどちらのも勝ち数が増やされる。騎手や調教師については日本では同着になった2人とも勝ちを得たと見なされ両者とも加算される。しかし海外では1勝とはされずに0.5勝として加算という国もある。
重賞競走での1着同着は何度かある(第36回('88)阪神大賞典〔タマモクロス、ダイナカーペンター〕、第4回('97)平安S〔トーヨーシアトル、シンコウウインディ〕など)が、GTレースではまだ1度もない。地方では帝王賞が第15回('92)にナリタハヤブサとラシアンゴールドが同着となったことがある。
2006年6月6日の名古屋競馬2レース
最内が小山、1頭挟んで外が宮下
同着はいつも2頭とは限らない。3頭同着というケースも勿論ある。1着が3頭同着になったケースは、日本では1951年11月17日大井競馬、1971年11月27日笠松競馬、1986年8月20日川崎競馬第10レースがある。'86年川崎のケースでは4着馬が3頭からハナ差だったので、もうちょっとで4頭1着同着が見られたはずだった。
2006年6月6日、名古屋競馬第2レースで、宮下瞳の騎乗馬と小山信行の騎乗馬が1着同着。宮下と小山は夫婦で、夫婦による1着同着は日本初は勿論のこと、世界的にも例がないかも知れない。
last update : 2006/06/08
first entry : 2006/05/21


特払い(とくはらい)
特別払い戻しのこと。「特配」ともいう。
特払いには2種類あって、1つは、競走は成立したが、的中券が一票も売れていないときに発生する。2006年5月20日の盛岡競馬第7レースで1着9番、2着12番、3着2番で決まったが、3連単「9→12→2」の組が一票も売れておらず、このレースの3連単馬券の購入者全員に70円の特払いが出た。(なお、このケースで「なぜ70円なのか」については配当率の項を参照のこと)
もう1つは、法定最高払戻額をオーバーしてしまったとき。こちらは現在ではお目にかかれないが、戦前には割とよくあった。というのも、当時は馬券最少購入額が20円だったが、配当が200円(つまりオッズが10倍)を超えると、オーバーした分に応じて特払いされる法律になっていた。現在でも『競馬法施行規則』第11条において「払戻金の最高限度額は、2千万円とする」と決められており、2005年10月22日の東京競馬で1846万9120円が出たこともあるので、今後も中央競馬で特払いがないとは言えない。
というわけで、地方競馬においても、中央競馬においても、馬券がハズれたからといって無闇に捨ててはいけないのである。
last update : 2007/08/04
first entry : 2006/05/21


特別競走(とくべつきょうそう)
「○○特別」「○○賞」「○○ステークス」など、名前が付されているレース。一般競走と違って特別登録を必要とする。特別登録料については「付加賞」の項を参照のこと。
上記の理由から分かる通り、重賞競走も特別競走に含まれる。時々、重賞競走と特別競走は別と思っている人がいるようだが、勘違いなきよう。JRAもその辺を察してか、「○○特別」という名の重賞競走を全て改名または廃止した。以前は「京都四歳特別」「四歳牝馬特別」「阪神牝馬特別」などの重賞競走があったが、京都四歳特別は廃され、四歳牝馬特別は2レースあったのがそれぞれ「フィリーズレビュー」「フローラS」に、阪神牝馬特別は「阪神牝馬S」に改名された。
ちなみに、特別競走のレース名は基本的に、
  • レースが施行される競馬場近辺の地名、名跡、山や川の名前
  • レースが施行される競馬場近隣のWINSの名前
  • レースが施行される月の英語名、和名、誕生石の名前、星座・星の名前
  • レースが施行される季節や競馬場近隣に即した植物の名前
などを参考に決められている。その他、かつての名馬や人物、競馬場などを記念した「○○記念」や、スポンサー(新聞社やテレビ局など)の名前が含まれるものなどがある。
last update : 2006/10/01
first entry : 2006/10/01


特別出走手当(とくべつしゅっそうてあて)
'74年まで存在していた一律1万円の「参加賞」が名前を変えた、賞金とは別のお金。賞金は着順に応じて金額が変動するし、着順によっては交付されないものだが、この「特別出走手当」はまさに“参加賞”で、たとえ1着であろうとシンガリ負けであろうと、ゴールさえすれば着順に関係なく一律の額で交付されるのである。その金額は下記の表のとおり。
競走別東京競馬、中山競馬
京都競馬、阪神競馬の出走馬
その他の競馬の出走馬
重賞競走42万3000円41万円
重賞競走以外の特別競走39万8000円38万5000円
一般競走1勝以上の競走38万3000円37万円
新馬・未出走・未勝利の競走36万3000円35万円
なお、交付されるのは1開催中2回まで。なぜ“2回”なのか? JRA側は競走事業費(馬主や厩舎関係者に交付される各種賞金・手当の総称)の約1割をも占める特別出走手当はなるべく出したくない。その一方で、馬主側は毎月厩舎に支払う預託料(およそ60〜70万円)をどうにかして取り戻したい。こうして両者の折り合いがついたのが「1開催中2回まで」という取り決めなのである。今後、かりに預託料が値上がりしたとしても、それに応じて特別出走手当も“2回”で預託料をペイできるように値上げされることだろう。
last update : 2006/03/25
first entry : 2006/03/25


どけ!
騎手がレース中に発する言葉。かなりドスが利いた声であるのは言うまでもない。
レース中、騎手はみな黙って騎乗しているのかというと、そんなことは絶対にない。に気合をつける掛け声はもとより、騎手同士牽制し合う声も飛び交っている。 「ペースちょっと速いぞ。緩めんかい」「そないなどうでもええでウロチョロすな」「お前、そろそろ追い出したほうがええんとちゃうか。動き出さんと間に合わんぞ」 といった具合。この中で「どけ!」とは、前を行くの脚があがっており、そののインを突きたいときや進路を得たいときに掛ける言葉。
時折レースを見ていて「やけに上手く進路が開いたな」といった場合や、解説者が「運良く前が開きましたねぇ」とか言っていることがあるが、それは間違いなく「どけ!」の声が飛んでいる。
もちろんこんな言葉を先輩騎手や一流騎手に対してなかなか言えるものではない。かといって、「開けてください」といった丁寧な頼み口調では言うことを全く聞いてもらえない。ドスの利いた命令口調でなくてはならないのである。デビューしたての騎手がなかなか勝てないのは「どけ!」を先輩騎手に言えないから。また逆にデビューしたばかりの騎手の勝ち方に逃げが多いのは「どけ!」と言わずに済むから。
女性騎手がなかなか勝てない理由の一つに、このドスの利いた「どけ!」が言えないから、というのが挙げられる。細江純子が現役だった頃、か細く弱々しい声で「開けてぇ、開けてぇ」と叫んでもほとんど聞いてもらえなかったという。開けてくれた騎手に河内洋がいたが、河内はそのレース後「おい純子、もっとドスの利いた声を出せ」と指導したという。
…とまぁ、いかにも騎手がレース中に声を発するのが当たり前のようなことを書いたが、『日本中央競馬会競馬施行規程』第97条には「騎手は、競走中みだりに高声を発し…(中略)…てはならない」と、声を発してはいけないと定めているのであしからず。
last update : 2006/06/07
first entry : 2006/06/07


渡世術(とせいじゅつ)
武豊が人一倍長けているもの。
騎手稼業というのは乗りに恵まれるかどうかで収入に大きな開きが出るため常に良いの取り合いで、そのために多くの騎手は「ぜひ私に乗せてください」「私が乗ったら勝たせられます」といった必死な営業活動を強いられる。 騎手としての腕も当然問われるが、その前に厩舎関係者や馬主関係者に対して八面玲瓏でなくてはならない。こっちの調教師に顔を売り、あっちの調教師に愛想を振り撒く。それが一番上手い騎手が、騎手としての技量で勝る者を凌駕する成績を残せることがある。
その点でいえば武豊などは、騎手としての技量はそこそこでしかないが、渡世術の高さだけで「天才」と呼ばれて良いが集まっている (なお彼が1年目のときにたくさんのが集まったのは、彼自身の営業活動ではなく、師匠の武田作十郎が必死に知り合いの調教師に頭を下げて回ったからだ)。 逆に、騎手としての技量は高いのに営業活動をやらなかったために、もっと高い名声を得られるのをむざむざ逃した騎手として、川端義雄や田原成貴が挙げられる。 晩年の田原成貴は頭を下げてまで騎乗馬を探すことはせず、自分の腕を買ってくれる厩舎のにだけ乗っていた。 そんな自分のことを「店先に野菜を並べているだけの八百屋」と表現していた。そして「店じまいした時に『商売熱心じゃなかったが野菜の味は良かった』と言われたらそれでいい」と言っていた。まぁ彼の場合、サイドビジネスに長けていた八百屋だったが…。
last update : 2007/05/04
first entry : 2007/05/04


栃栗毛(とちくりげ)
被毛は黒味がかった黄褐色から黒味の非常に濃いものまであるが、黒色にはならない。長毛は被毛より濃いものから、白色に近いものまである。
last update : 2005/09/17
first entry : 2005/09/17


友引(ともびき)
六曜の1つ。「凶事に友を引く」の意味。かつては「勝負なき日と知るべし」といわれ、勝負事で何事も引き分けになる日とされていた。この日に葬式・法事を行なうと、友が冥土に引き寄せられる、というのは迷信。
発売馬券に馬番連勝がなく、枠番連勝しかなかった頃に存在した、同枠取消問題を解決する手段の1つ。取消・除外が出た際に同枠のも強制的に取消にする制度。
例えば、16頭立てで、16番のが取り消したとしたら(又は除外となったら)、「8−8」の目はあり得なくなってしまうので買い戻しとなるが、その他の「1−8」やら「7−8」などは目として可能性がある以上買い戻しはされない。しかし8枠の馬が2頭から1頭に減るのだから確率的に期待値は半分になってしまう。8枠がらみの馬券を買っていた人の中には納得できない者もいるだろう。そこで同枠の15番のも強制的に取消として8枠がらみの馬券を全て買い戻すのである。
しかし、友引というのは、友引されたの陣営はをせっかく仕上げた意味がなくなってしまうし、主催者側としても買い戻すことにより売上が減少する。友引は誰にとっても良いことはないものだった。そこで、同枠取消問題を解決する別の手段として「単枠指定」が考え出された。
last update : 2006/05/03
first entry : 2006/05/03




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