「楡馬」版−競馬辞典

―― その他編 ――
last update : 06/06/08


<ま>
【マイラー】
マイラー
航空会社のマイレージをこまめに貯め込む人のこと。飛行機に乗ることなく陸上生活だけでマイレージを貯め込む人を特に「飛ばないマイラー」「陸マイラー」と呼ぶらしい。
マイル(1600m)を得意とするのこと。'94年安田記念を勝ったノースフライトは、'93年スプリンターズSを勝った快速馬サクラバクシンオーに1400mのスワンSでは負けたが、続くマイルチャンピオンシップで見事に打ち負かした、という生粋のマイラーだった。
last update : 2006/06/08
first entry : 2006/06/08



<み>
【道悪】【見習騎手】【宮崎競馬場】
道悪(みちわる)
馬場状態を表す言葉で、“重”や“不良”のことを総称して言う。
last update : 2006/04/03
first entry : 2006/04/03


見習騎手(みならいきしゅ)
騎手免許を取得して間もない騎手のこと。国によっては見習騎手を対象とした免許を発行し、一定期間経過後にその間の騎乗実績などを考慮したうえで本免許に切り替える、といったシステムを採っているところもある。かつての日本では騎手免許取得を目指し調教師に弟子入り中の者と騎手免許取得から間もない者を合わせて「見習騎手」と呼んでいた。
現在の中央競馬においては、騎手免許取得3年未満で通算勝利数100回以下の騎手のことを指す。「減量騎手」とも。競馬サークルでは「アンチャン」とも呼ばれる。騎手免許を取得したばかりの騎手は技術的に未熟で、ベテランの騎手と同一条件でレースをすれば不利になる。そこでこういう騎手に騎乗の機会を多く与え育成を図るために、見習騎手には減量制度が採られている。
last update : 2006/04/03
first entry : 2006/04/03


宮崎競馬場(みやざきけいばじょう)
宮崎県にある競馬場。とはいっても現在は競馬は行なわれてはおらず、「日本中央競馬会宮崎育成牧場」という名で、以前の抽選馬にあたるJRA育成馬の調教・訓練の場として使用されている。
1907年創設。創設当時は日本で最南端の競馬場だった。コースは右回り。1周の長さは1609m、幅員は27m。春木競馬場と同じくX字の障害コースを擁していた。施行距離は、1コーナーのポケットからスタートする「1600m」、ホームストレッチ中ほどの「1800m」、4コーナー出口の「2000m」、3コーナーポケットの「2400m」「障害2600m」、バックストレッチの3コーナー寄り「障害2700m」、バックストレッチ中間点「2600m」「障害2800m」、バックストレッチ2コーナー寄り「2800m」、1コーナーと2コーナーの中間点(つまりカーブのど真ん中)の「障害3300m」があった。
創設当初は有志による“競馬会”が主催していた。それが1909年に宮崎競馬倶楽部に改称。'23年に公認競馬場として認可される。'37年に日本競馬会が設立されると毎年春秋の年2回開催となる。戦後は国営日本中央競馬会による開催はなく、'46年に宮崎県営競馬としてスタート。'49年12月からは市営競馬も行なわれるようになった。売上は順調に伸びていたが、馬資源の確保が困難になり、'63年を最後に廃止となった。実際、最後となった3月12日の宮崎県営競馬は全部で9レースも組まれたのに全登録頭数は39頭、最終レース「宮崎ダービー」は5頭立て(しかも1頭は取消)という有様だった。
中央競馬では長らく「あくまで休止中の競馬場」という扱いだったが、'94年をもって正式に競馬場としての使用廃止が決まっている。しかし競馬法で宮崎競馬場は日本中央競馬会の競馬場として明記されているため、法律的に生きている競馬場である。
last update : 2006/05/03
first entry : 2006/05/03



<む>
【鞭】
(むち)
競馬や乗馬において鞭を使用する目的は主に以下の4点。
  1. 懲戒 が悪いことをしたことを教え叱る
  2. 馴致・調教 … 扶助の補足目的
  3. 指示 … 何をするかを示す
  4. 激励 … 疲れたときに勇気付け、気力を奮い立たせる
競走における鞭の使用は通常「激励」の意味合いだが、過度な使用や不適切な使用は逆にの心身を萎縮させ逆効果となる。
英国では5回以上鞭を入れると、動物虐待にあたるとして最悪の場合、騎乗停止の処分を受ける。2005年8月16日のインターナショナルSでゼンノロブロイに騎乗した武豊は鞭を使い過ぎて4日間の騎乗停止を言い渡されたJRAはこの処分を受け入れず、武の日本での騎乗停止は科さなかった)。英国では鞭の使用規制が厳しいことくらい一般の競馬ファンでも知っている。「鞭の使用法について無知でした」では済まされないよ、武豊
1999年1月17日京成杯において、フェスティブタイムに騎乗した田中勝春は、右鞭を入れるとが左によれ、左鞭を入れると右によれるので、最後はの頭を鞭で連打。最後の直線残り200mからゴールまで連打しているのがテレビでもしっかり中継され、さすがにJRA田中勝春騎乗停止にした。
last update : 2006/05/25
first entry : 2006/05/25



<め>
【免許】【メンコ】
免許(めんきょ)
騎手および調教師は免許制。有効期限は1年間で、1年毎に更新のため試験を受けなければならない。また、騎手は更新を続ける限りいつまでも免許を持ちつづけられるが、調教師は70歳定年制となっている。(70歳定年制になったのは'89年から。それ以前は調教師も定年はなかった)
昭和35年8月1日に
奥村福人騎手(上諏訪競馬所属)に
発行された騎手免許。
平地と速歩が免許されている
中央競馬と地方競馬では別々の免許である。中央競馬では日本中央競馬会JRA)が、地方競馬では地方競馬全国協会(NAR)がそれぞれ発行する。そのため、地方競馬の騎手が自前の免許で中央競馬で騎乗することはできない。逆も同様。指定競走、交流競走、特別指定交流競走で騎手免許がない競走に騎乗する場合には、試験なく「その競走に限定した騎手免許」が交付される。
騎手免許は平地競走と障害競走とで別の免許となっている。中央競馬の競馬学校を出た騎手は通常、平地と障害の両方の免許を取得することになる。しかし多くの騎手は障害競走の免許の更新をやめ、平地専門になるのが一般的。逆に障害専門の騎手もいるが、現在では嘉堂信雄と出津孝一だけ。ちなみに、日本でも以前施行されていた速歩競走も免許が別で、速歩専門の騎手も存在した。
日本においては、騎手免許は調教師免許と同時に取得することはできない。すなわち調教師免許を取得するとなると、騎手免許を手放さなくてはならない。こういった調騎分離は当然と思われがちだが、1930年代以前は「調騎兼業」がむしろ当然で、例えば東京優駿においては大久保房松(カブトヤマ)と中島時一(ヒサトモ)、中村広(スゲヌマ)が調騎兼業で優勝している。調教師と騎手が厳格に分離されるようになったのは、'38年に当時の日本競馬会が「職制分離、調騎分離」のスローガンの下、兼業を禁止して以降である。
自動車運転免許は一定のレベルに達すれば無制限に発給されるが、JRAの調教師免許は違う。JRAは調教師免許を、人数を制限するための手段としている。すなわち定年退職者とほぼ同数しか調教師試験合格者を出さないという政策である。JRA内厩制度を採用しており、美浦・栗東の両トレセンの馬房数は4462で、うち4332が調教師に貸し付けられる。調教師1人平均に20馬房が割当てられる。よって、4332÷20=216.6人の調教師しか存在させられない。2006年5月現在で免許を有する調教師は美浦117人・栗東112人、計229人(技術調教師含む)なので、この数字はおよそ合致する。このようなことをする結果、実際に厩舎経営能力がある人がペーパーテストや面接でふるい落とされたり、合格するまでに苦節十数年という人が続出することになる。
last update : 2006/05/02
first entry : 2006/05/02


メンコ
が物音に驚かないように耳を塞ぐためのマスク。覆面ともいう。
は「肉食獣に追われる草食獣」ということから音には敏感な動物で、耳はよく動く。それはのサインともなり、騎手は耳での様子を知ることができる。メンコで塞いでしまったらそれが分からなくなる。岡部幸雄は現役時代そのことを指摘して「なぜメンコなんてものをする必要があるのか」と言っていた。世界を見回してもメンコなんて習慣があるのは日本だけ。
物音に敏感であるとかに関係なく、自分の所有馬全てに勝負服に合わせたデザインのメンコをつけさせる馬主や、厩舎独自のデザインのメンコを管理馬全てにつける調教師がいる。以前、何かの拍子にメンコがずれてメンコがの眼を覆う恰好になってしまって、驚いたが騎手を振り落として暴走、ラチに首を強打して死亡した、という事件があった。よほどが音に敏感だということでもない限り、メンコはつけないのが無難。
last update : 2006/05/25
first entry : 2006/05/25



<も>
【持込馬】【持ってくる】【盛岡競馬場】【門別競馬場】
持込馬(もちこみば)
かつて中央競馬で用いられていた競走馬の区分。母馬が胎内に仔馬を宿した状態で輸入され、日本国内で産まれたのこと。
もともと持込馬は内国産馬扱いであり、天皇賞やクラシックへの出走制限はなかった。しかし、それまで許可制だった活馬(生きている)の輸入が自由化された'71年に、その見返りに内国産馬振興の一環として持込馬が外国産馬とほぼ同等の扱いを受けることになった。これによりマルゼンスキーの悲劇が生まれることになる。'84年にこの制限は解除となり、再び持込馬は内国産馬として扱われるようになった。
last update : 2006/04/05
first entry : 2006/04/05


持ってくる(もってくる)
騎手が人気薄のを上位に入線させること。それも「腕ずくで」という言葉が当てはまるときに使う。
これを多くできる騎手は地方騎手または地方出身騎手に多い。武豊の力を100%発揮させているとしたら、地方騎手は120%発揮させることができる者が多いからだ。「持ってくる」ことができるようになってはじめて一流騎手といえる。これは単勝・複勝回収率という数字に表れてくる。
last update : 2006/06/07
first entry : 2006/06/07


盛岡競馬場(もりおかけいばじょう)
岩手県盛岡市にある競馬場。現在の盛岡競馬場は'96年に開場、以前の盛岡競馬場は前年に閉場されている。愛称は「オーロパーク」。所在地:岩手県盛岡市新庄字上八木田10。
盛岡競馬場
コースは左回り。米国の競馬場のようにダートコースの内側に芝コースを擁する。地方競馬単独で施行される競馬場の中で唯一芝コースを設けている。1周の長さはダートが1600m、芝が1400m。直線の長さはダート・芝ともに400m。
主なレースは交流GTダービーグランプリマイルチャンピオンシップ南部杯、交流GVクラスターカップマーキュリーカップなどの交流重賞をはじめ、トウケイニセイ記念、不来方賞、シアンモア記念、北上川大賞典など各種主要レースが行なわれる。2002年にはJBCが開催された。
last update : 2006/04/03
first entry : 2006/04/03


門別競馬場(もんべつけいばじょう)
北海道沙流郡日高町にある競馬場。従来より道営ホッカイドウ競馬のトレーニングセンターとして使用されていたコースを約15億円かけて改修し、'97年12月にオープンした、日本で一番新しい競馬場。所在地:北海道沙流郡日高町富川駒丘76番地1。
コースは右回り。1周の長さは1600m、直線の長さは330m。トレセンとして使用していた部分は本馬場内側に残っているがレースでは使用されない。設定距離は、1000m、1200m、1700m、1800m、2000m、2600m。
スタンドの収用人員はわずか500人。近所の生産者の人くらいしか観客がいないことを考えれば、身の丈に合った数と言えるかもしれないが、もう少したくさん人を入れようとは思わなかったのか。ちなみにスタンドは寒い冬でも観戦しやすいように全面ガラス張りとなっている。また、4コーナー付近にある入場門からスタンドまで300m以上歩くことになるので、入場門とスタンドを送迎するバスがある。
last update : 2006/04/03
first entry : 2006/04/03




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