「楡馬」版−競馬辞典

―― 人物編 ――
last update : 06/09/16


<や>
【安田伊左衛門】【保田隆芳】【安田富男】
安田伊左衛門(やすだ いざえもん) (1872-1958)
今日の日本で競馬を楽しめるのも全てこの人のおかげと言っても過言ではないくらいの業績を残し、『日本競馬の父』と称えられている人物。東京競馬場に像が建ち、安田記念に名を残している。ちなみに日本中央競馬会の初代理事長('54年9月〜'55年3月)。別に初代理事長だから『日本競馬の父』というわけではない。他になり手がいなかったから就任しただけのこと(82歳で理事長就任っておかしいでしょ)
安田伊左衛門
世界に通用する作りを目指すには、英国に倣ってダービーを行なう必要がある、と説き、1932年に第1回東京優駿を開催させた。しかし東京優駿が「世界に通用する作り」に貢献しているとは限らない。…と思っていたら、2005年にダービー馬・スペシャルウィークの仔のシーザリオが米国GTアメリカンオークスを勝ってしまった。第1回ダービーから実に74年目の快挙。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


保田隆芳(やすだ たかよし) (1920- )
'36年、16歳で尾形藤吉厩舎から騎手デビュー。'70年に引退するまで1295勝を挙げ、史上初の八大競走制覇を果たす(東京優駿2、菊花賞3、皐月賞1、桜花賞2、優駿牝馬2、天皇賞・春3、天皇賞・秋7、有馬記念2)。初の1000勝達成騎手。また調教師としてトウショウボーイを育てた。保田一隆調教師の父。2004年競馬殿堂顕彰。
八大競走制覇や「天皇賞男」の異名(天皇賞10勝は史上最多)をとったこともさることながら、やはりこの人の偉大さは、'58年にハクチカラとともに米遠征し、数ヶ月滞在して現地でモンキー乗りを体得してきたことだろう。これが野平祐二騎手から競馬界全体へと浸透し、日本騎手の技術向上に繋がった。
ちなみに引退レースは京王杯スプリングハンデをミノルで勝って見事有終の美を飾っている。引退レースを重賞勝利で飾れる騎手はまずいない。他には野平祐二くらいか。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


安田富男(やすだ とみお) (1947- )
JRA全10場重賞制覇を初めて成し遂げた騎手。現在は予想家。なぜかスキー用のゴーグルを装着している安田富男
記録達成に要した時間は'74年小倉大賞典(ノボルトウコウ)から'96年札幌スプリントS(ノーブルグラス)まで22年、あと1つとリーチをかけてから9年。これが富男らしさである。それに比べ、二番煎じを演じた武豊はデビューから10年、リーチがかかってから22日、という苦労のなさ。面白味のかけらもないヤツだ。
ちなみ京都競馬場で勝った重賞は、'76年の菊花賞(グリーングラス)しかないような気が…。これも富男らしさである。
last update : 2005/07/17



<ゆ>
該当項目なし

<よ>
【横山富雄】【横山典弘】【吉沢宗一】【吉田勝彦】【吉田豊】【吉永正人】
横山富雄(よこやま とみお) (1940- )
賀一、典弘兄弟の父にして騎手。4192戦559勝(うち障害417戦120勝)
メジロタイヨウで第60回天皇賞、メジロムサシで第63回天皇賞と第12回宝塚記念、ニットウチドリで第33回桜花賞、ファイブホープで第39回優駿牝馬を制し、フジノオーで第51〜54回中山大障害を4連覇(歴代1位、通算5勝は歴代2位)した他に、平地・障害両100勝を達成している(他達成者は田中剛騎手だけ)
特に障害はメジロタイヨウで天皇賞を制した翌年の'70年まで騎乗し通算120勝、勝率28.8%を誇った。'68年には年間障害26勝を挙げるなど、'83年に引退するまでの23年間ずっと障害も乗っていたら、星野忍障害254勝を上回っていたかも知れない。
ちなみに'68年には、関西の渡辺正人に次ぐ2人目の、関東では第1号のフリー騎手となった。この人が成功しなかったらフリー騎手は今ほど当たり前になっていなかったかも知れない。(のちに関東で2人目となる田村正光がフリーになるのは10年後の'78年のこと。それくらいフリーは挑戦のハードルが高かった)
last update : 2006/06/03
first entry : 2005/07/17


横山典弘(よこやま のりひろ) (1968- )
JRA騎手。父は横山富雄、横山賀一騎手は実兄、義弟に菊沢隆徳騎手。
'86年デビュー。'89年頃から頭角を現し始め、'90年にはエリザベス女王杯でGT初勝利(ゴール手前50mからガッツポーズして戒告処分を受けた)。'95年と2005年は関東リーディングを奪取。2005年11月5日東京競馬第2〜7レースで6連勝してJRA記録を作った。
彼は好んで追い込みを使うが、好んでいるほど上手くはなく、届かず2着ということも少なくない。むしろ皐月賞菊花賞でのセイウンスカイや天皇賞でのイングランディーレのような逃げのほうが上手いように思える。
2007年4月21日までにGTは15勝しているが、2着は34回(JRA以外も入れれば43回)と、2着の数なら誰にも負けない岡部幸雄のGT31勝と比較してもスゴイ、いやむしろ情けない)
一時期、デットーリの真似でGTを勝ったら馬上からのジャンプ・オフというパフォーマンスを演じてみせていたが、最近ではめっきり。他人の真似をしていては一流になれない、とプロ意識に芽生えたのか、それとも単に機会に恵まれないだけか…。
last update : 2007/04/22
first entry : 2006/05/26


吉沢宗一(よしざわ そういち) (1951- )
テレビ東京『ウイニング競馬』解説者。騎手。3800戦364勝(うち重賞4勝)。
玄人好みするタイプの騎手だったようだが、騎手としてはあまり大成しなかった。しかしテレ東の土曜競馬中継の解説に座ってからが素晴らしい。解説になった初期の頃はテレビ慣れしてないシロウト丸出しで、画面に映っているにも関わらず購入した馬券をチェックしたり、財布を出したり、音声が他場の中継から切り替わっているのを知らずに馬券がハズレたのか「(勝ったに)展開が向いちゃったよ…」というコメントがマイクに拾われたりした。
また地方競馬に対して対抗心が強く、安藤勝己の騎乗を痛烈に批判するコメントを吐いたり、地方馬が中央で勝ったことが続いたときなどは「中央勢がだらしない。(地方馬が勝って)無性に腹が立つ」とコメントした。勿論こうした発言は闘いの場に身を置いていたプロとしての発言であり、敵対心を露わにしない今の騎手は見習うべきである。
last update : 2006/06/08
first entry : 2006/06/08


吉田勝彦(よしだ かつひこ) (1937- )
ダートプロ所属の競馬実況アナウンサー。園田競馬場、姫路競馬場で競馬実況を担当している。元々はラジオ声優が志望だった18歳の時に春木競馬場大阪競馬場(ともに廃止)でアルバイトとして競馬実況を始め、翌年に兵庫県競馬組合の嘱託として場内実況を担当(本人談によると'55年から'56年春まで春木で実況を担当したとのこと)。以後、半世紀に渡って競馬実況を担当の他、サンテレビ『園田・姫路競馬ダイジェスト』のナレーションを担当。
吉田勝彦
レース道中の流れを的確に捉えた語り、直線に入るにつれテンションが上がり、最後は裏返った声でゴールを伝える実況は「吉田節」として知られ、ファンも多い。ちなみに本人は馬券を一切買わない。というのも、馬券を買うことで私情が入りレースの実況に影響が出ることを避けるためだとか。なお、弟子格として竹之上次男アナウンサーがおり、現在は2人体制での実況のため、吉田氏が実況するレースは半分程度である(どうやら竹之上アナを後継者に考えているらしい)。南関東や金沢競馬場で場内実況を担当する及川暁アナウンサーも大学卒業後まもなくは吉田氏のもとで実況をしていた。及川アナの実況も「サトル節」として人気が高いが、そのベースは吉田節である。
かつて、兵庫県競馬発行の広報誌「Dash」誌上での杉本清アナウンサーとの対談で、「もし、兵庫県の騎手がワールド・スーパー・ジョッキーズ・シリーズで総合優勝することがあれば、そのときには私に優勝インタビューをさせてもらえないだろうか」と語っていた。2005年、ついに岩田康誠が総合優勝を果たしたが、吉田氏による優勝インタビューは実現しなかった…。
レース後の表彰式の時など、ファンの前に出てくる機会も多く、サインを求めると「私でいいんですか?」と言いつつも応じてくれ、「そのだひめじ 実況ひとすじ 吉田勝彦 20xx年x月x日」と書いてくれる。園田姫路競馬にとってなくてはならないお人である。
吉田節を少し披露。
  • 「もう兵庫県のでどぉ〜しようもないっ」('94年楠賞全日本アラブ優駿 優勝馬コノミテイオー)
  • 「益田のが来たーーーー!!」('97年楠賞全日本アラブ優駿 優勝馬ヤングメドウの時の3着ニホンカイユーノスに対して)
  • 「大外からロードバクシン、ロードバクシン、小牧太ィーーーー!!」(2001年兵庫チャンピオンシップ 優勝馬ロードバクシン)
  • 「あっぱれアラブのサンバコ〜ル」(2002年兵庫大賞典(サラ・アラブ混合) 優勝馬サンバコール)
競馬実況一筋50年、「吉田節」と言われる独特の言い回しで多くのファンの心をつかんで離さない吉田氏であるが、氏がこの道に入ったのは実はアルバイトであったというのは前述の通りだが、では氏がなぜこの道を極めるに至ったか。それはくだんの春木競馬にいた天才騎手・岩崎良蔵という騎手の言葉にあるそうだ。岩崎騎手は氏に『僕は騎手でこの道を極めるから、君は実況でその道を極めたらいい』と言ったそうだ。この言葉がなかったら我々は氏の名実況を聞くことはできなった。(岩崎良蔵という騎手、一体どんな人物であったのか、成績なども含めて色々知りたいところであるが、資料不足で調査できず。情報求む!)
last update : 2006/03/10
first entry : 2006/03/10


吉田豊(よしだ ゆたか) (1975- )
後藤浩輝騎手に木刀で殴られ、足蹴にされた騎手。
「木刀殴打事件」当時には既にメジロドーベルなどでGTを勝っており、後輩とはいえGT未勝利の後藤より身分的には上。そう考えると、吉田にしてみれば面白くなかっただろうが、後藤はさぞスッキリしたことだろう。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


吉永正人(よしなが まさと) (1941-2006)
'83年三冠馬ミスターシービーの出走レース全てに騎乗した騎手。騎手成績:2753戦461勝。元騎手の吉永良人は弟。騎手の吉永護は息子。ちなみに作家の吉永みち子は後妻(のちに離婚)
彼は無類の無口。あの鈴木淑子でさえ取材でどうにか喋らせようと苦心したとか、NHKのパドック解説で殆ど喋らなかったため解説にならずアナウンサーが困り果てたとか等の逸話があるほどの無口という噂。
2006年9月11日、胃がんのため死去。調教師として3586戦199勝(うち重賞1勝)
last update : 2006/09/16
first entry : 2005/07/17




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