「楡馬」版−競馬辞典

―― 人物編 ――
last update : 07/04/21


<た>
【武邦彦】【武幸四郎】【武豊】【武田文吾】【田中角栄】【田中勝春】【田原成貴】
武邦彦(たけ くにひこ) (1938- )
第39回('72)東京優駿優勝騎手。この年は厩務員ストでダービーが七夕ころの7月9日の開催に。七夕といえば短冊に願い事を書くものだが、豊も含めた邦彦の子息たちは揃って父のダービー制覇を短冊に書かず、「川端(ランドプリンス騎乗)のおじさんが勝ちますように…」「タイテエムが勝ちますように」などと書いたという。こんな仕打ちをされたことを根に持ったのか、邦彦はダービーを勝った当日は家に戻らず、次開催の小倉に単身向かった。
苦悩する武邦彦
こんな非情なことをする息子・武豊ダービー制覇を神が許さないと思われていたが、とうとう豊が'98年のダービーを勝ってしまった。豊はダービー制覇に浮かれて、自分が父にした仕打ちの罪の重さを知ることがないのかと思うと、邦彦が哀れである。
last update : 2005/07/17
first enty : 2005/07/17


武幸四郎(たけ こうしろう) (1978- )
JRA騎手。「ターフの魔術師」と呼ばれた武邦彦の四男。'97年デビュー。初勝利を重賞勝利で飾るマイラーズCを11番人気オースミタイクーンで)。デビュー年に37勝を挙げJRA賞最優秀新人騎手賞を受賞した(兄・豊も受賞しており、史上初の兄弟受賞となった)
芸能プロダクション「シンクバンク」に所属しており田中勝春も所属)、フジテレビ『ジャンクSPORTS』では合コン好きをネタに準レギュラーの扱いを受けている。2003年にはアヤパンとの熱愛が写真週刊誌に報じられ、撮影された日が、体調不良を理由に騎乗をキャンセルした日曜だったことから問題となった。
last update : 2006/06/13
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武豊(たけ ゆたか) (1969- )
日本中央競馬会の騎手。
last update : 2005/07/17
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武田文吾(たけだ ぶんご) (1907-1986)
調教師として歴代4位となる1277勝。騎手としても第7回('47)桜花賞勝ちなど。シンザンを育て上げたことで有名。'67・'72年最多勝調教師。八大競走完全制覇。2004年競馬殿堂顕彰。通称「武文」。
この人の凄さは単に調教師としてだけではなく、騎手育成の手腕も挙げられる。娘婿の栗田勝、山本正司、安田伊佐夫、松本善登らのダービージョッキーに加え、天才福永洋一、実子・武田博、渡辺栄、鶴留明雄など多数の弟子を育て上げている。
last update : 2005/07/17
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田中角栄(たなか かくえい) (1918-1993)
「一国の宰相になるよりダービー馬のオーナーになるほうが難しい」を実証した、ロッキード事件で有名な首相。
'65年前後に多くの競走馬を所有していた。有名どころでは'65年オークス馬ベロナ(名義は夫人の「田中はな」)や、'69年東京優駿に出走したマキノホープなどがいる。
ちなみにマキノホープやマキノサクラ('65年優駿牝馬出走)などの「マキノ」は、娘の田中真紀子衆院議員に由来している。
last update : 2005/07/17
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田中勝春(たなか かつはる) (1971- )
JRA騎手。実家は競走馬の生産牧場という環境で育った。父の春美氏は馬主資格を持つ(たまに父のに騎乗することがある)。愛称は「カッチー」「負春」。奥さんは元・ミス牛乳。
デビュー4年目の'92年に安田記念でGT初制覇するも、その後はいくらGTに騎乗しても負け続け、2004年優駿牝馬でGT100連敗を達成。2005年全日本2歳優駿を制し13年ぶりのGT勝利となったが、JRAのGTは2007年の高松宮記念時点まで139連敗という有様。“騎手版ハルウララ”と揶揄された。2007年皐月賞でようやく連敗を止めた。
1996年12月7日中山10R清澄特別でハルカジョウに騎乗、「に異常を感じた」ため競走中止したが、レース後のレントゲン検査などで馬体に異常が認められず、『日本中央競馬会競馬施行規程』第95条(「騎手は、競走において、の全能力を発揮させなくてはならない」)に反したとして、実効9日間の騎乗停止を喰らった。他にも'99年京成杯で騎乗したフェスティブタイムの頭をムチで連打したことで騎乗停止を喰らった。
'97年だったか'98年だったか忘れたが、札幌競馬場での第13レース(全レース終了後の本馬場を使ったゲート試験。もちろん馬券の発売などない)で、輪乗りするカッチーに観客が「カッチー、(今乗ってるは)人気だよ〜」と声をかけると気さくに「あいよ〜」と返事。発馬がキレイに決まると「アチョ〜!」と奇声を発してを駆っていった。実は愛嬌たっぷりなヤツである。
last update : 2007/04/21
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田原成貴(たばら せいき) (1959- )
何かパフォーマンスをしないと気が済まない男。
<引退発表記者会見時>
何か歯の浮くようなコメントをしないと気が済まない男。
色々な意味で目立ってないと気が済まない男。
………な男。(自主規制)
しかしこんなでも、通算1112勝、初騎乗初勝利、'83・'84年最多勝騎手、'83年中京で1開催20勝の最多記録(現在では武豊に抜かれている)桜花賞4勝、重賞65勝(うちGT14勝)など数々の記録を残した名騎手。
いわゆる「サンエイサンキュー事件」で、サンスポの悪意のある報道に対し毅然とした態度を取り続けたことで、「孤高で男気のある人間」というイメージが作られた。また、トウカイテイオーやマヤノトップガンで見せた派手なパフォーマンス、漫画の原作者、ロック歌手、エッセイストと言った異色の才能も熱狂的なファンを生み出す「田原神話」の要因となった。田原の書いた文章などを読んでも、異端児的イメージを演出することに腐心していたように思える。
2001年10月8日、羽田空港で飛行機に乗りこむ際、刃渡り18センチのナイフと覚せい剤の入った注射器を持ちこもうとして逮捕された。2ヶ月後には、銃刀法違反、覚せい剤取締法違反の罪で、東京地裁により、懲役2年、執行猶予3年の判決が下された。JRAはこの判決を待たずに田原から調教師免許を剥奪。田原は競馬界から追放された(15年間の期限付き)
競馬界追放後の田原は曰くあの事件は、「人生をリセットしたかった。どうやって、すべてを失うかということだけ考えていた。おれは、みんな捨てるから、これでええやん。もう勘弁してや、って感じ」だったそうだ。今後は身元引受人である漫画家・本宮ひろ志の下で再起を図る。
last update : 2005/07/17
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<ち>
【千島武司】
千島武司(ちしま たけし)(1952-1977)
道営ホッカイドウ競馬における伝説のNo.1ジョッキー。
'69年にデビューし、デビュー年は190戦18勝。4年目となる'72年に415戦96勝でリーディング初獲得。その後も'73・'74・'76・'77年と計5回のリーディングを獲得。5度のリーディングは2005年に6度目のリーディングを獲得した五十嵐冬樹に抜かれるまで史上1位の記録だった。特に'76年の130勝勝率30.4%)は史上1位。(2004年五十嵐冬樹は121勝、勝率20.7%だった)
その活躍は北海道の外でも見られ、'76年には大井競馬場での全日本アラブ大賞典をミスダイリンでレコード勝ち。大井アラ系2600mのレコード2分46秒3は'96年度に大井がアラブを廃止するまで塗り替えられることはなかった。
1977年12月16日、若駒の調教中にに蹴られ脳挫傷で他界。2804戦679勝、勝率24.2%。9年間でリーディング5回にしても、安藤勝己の地方通算勝率23.5%を上回る勝率にしても、相当な天才だったことが窺い知れる。25歳という若さでの死が惜しまれる。
last update : 2006/06/02
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<つ>
【塚越一弘】
塚越一弘(つかごし かずひろ)(1958- )
リーディングは関東44位が最高、重賞勝利は'79年東京障害特別(春)の1勝、という騎手。
そんな彼も、'86年12月18日中京競馬場のジョッキールームで国兼正浩騎手と口論から喧嘩騒ぎを起こし実効2日の騎乗停止を受ける、という事件を起こし競馬史に名を残している。もっとも、大相撲で言えば岩木山vs武雄山レベルの対戦カードだったので記憶している者があまりに少ないのが惜しまれる。
「騎手名鑑」によると彼の趣味は「史跡見学」らしい。特別レース名となっている土地を訪れるというものらしいが、最近はこういう味のある騎手がいないねぇ…。
last update : 2005/07/17
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<て>
【寺島祐治】
寺島祐治(てらしま ゆうじ) (1968- )
'91年から導入された降着制度を適用された第1号騎手。2000年引退。通算1743戦99勝(あと1勝、頑張れなかったのかなぁ…)
last update : 2005/07/17
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<と>
【徳吉一己】
徳吉一己(とくよし かずみ) (1941- )
競馬学校の教官という騎手。徳吉孝士騎手は息子。現在は予想家さん。
騎手引退直前には競馬学校教官になることが決まっていたのだが、引退レースで騎乗停止の制裁を受けて「反面教師・徳吉先生」というレッテルを貼られた。
にも関わらず、8年間('93〜2001年)通しての教え子は和田竜二や福永祐一らの12期生以降の騎手であることを考えれば、彼の手腕はかなり高いと言えるだろう。
last update : 2007/04/21
first enty : 2005/07/17




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