「楡馬」版−競馬辞典

―― 人物編 ――
last update : 06/06/07


<さ>
【境勝太郎】【佐々木竹見】【佐野量子】
境勝太郎(さかい かつたろう)(1920- )
10年ほど前まで「サクラ」のを多数管理してきた調教師であったことはよく知られていても、その昔に騎手としてクインナルビー(オグリキャップの曾祖母の祖母)ダービー3着、天皇賞制覇を遂げたことや、第10回桜花賞をトサミツルで制覇したことなどを知る人は少ないのかも知れない。'97年調教師引退。調教師通算5202戦656勝。
そんな彼はすばらしい名言をこれまで多く残してきている。
  • 名言その壱(ノリめ、)ヘタクソな乗り方しやがってっ!俺が乗ったら勝ってた。」(第114回天皇賞でサクラローレル敗戦後) ―― 全国の競馬ファンが「それは無理!」と思った。
  • 名言その弐(小島)(下手な騎乗の)せいで何億損したか分からねぇ。」(調教師引退後の某誌でのインタビューで)
現在ではスポニチ紙上で「美浦黄門」を名乗って、昔取った杵柄の相馬眼で馬体診断を行なっている。
last update : 2005/07/17
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佐々木竹見(ささき たけみ) (1941- )
川崎競馬所属の騎手。通称「鉄人」。地方通算39060戦7151勝、中央20戦2勝、海外遠征12戦未勝利の合計39092戦7153勝を記録。重賞143勝、17年連続で南関東リーディングを戴冠。主な勝ち鞍に東京ダービー('65年ヒガシユリ)東京大賞典('64年オリオンホース・'75年スピードパーシア・'87年テツノカチドキ)帝王賞('87年テツノカチドキ)など。
7000勝めの表彰式
彼の偉大な記録はいうまでもなく、'98年7月1日川崎10Rをカネショウヤシマで優勝し、デビューから38年1ヶ月で世界6人目となる通算7000勝を達成したことである。ちなみ日本記録2位は石崎隆之騎手で最近5500勝を達成したばかりなのだから、7000勝のえげつなさがよく分かる。
'66年には「年間505勝」の世界記録(当時)を達成している。どんなにしょーもない勝負事でも年間505勝ってできない気がする。ジャンケンですら年間505勝なんてしてないよな…。
ちなみに佐々木竹見の勝負服、赤・黄山形一文字は佐々木竹見の功績を称え永久勝負服とされている。
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佐野量子(さの りょうこ) (1968- )
JRA騎手の夫人。
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【四位洋文】【塩村克己】【柴田政人】【柴田善臣】【島田功】
四位洋文(しい ひろふみ) (1972- )
JRA騎手。叔父に元騎手の四位満教。主な勝ち鞍は'96年皐月賞(イシノサンデー)、2001年天皇賞・秋(アグネスデジタル)など。
彼はアーティスティックな騎乗にこだわり、鮮やかなイン捌きや100点満点の騎乗で勝つことを最優先しているようだ。競馬を「クリーンな競技」として捉えているらしい。そんなことだから、レース中に他馬から不利をこうむると大げさに手綱を引き、「オレはこんな不利を受けたんだ」とオーバーアクションをする。馬券を買っている側から言わせて貰えば、そんなことをやっている暇があるなら少しでも不利を跳ね返すために最後まで力一杯に追ってこい、と言いたい。不利を受けたアピールをやったってせいぜい順位は1つしか上がらん。馬券を買う側の立場になってみろ。競馬は“競技”じゃねぇんだ、“闘い”なんだ!
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塩村克己(しおむら かつみ) (1969- )
第110回天皇賞優勝騎手。2002年引退。通算3454戦289勝(うち重賞7勝)
'96年秋のある日、彼は金沢競馬に行くはずだった。…が、しかし彼はレース日を1日勘違いしレースをすっぽかしてしまった。これが「レースの公正を欠いた」として騎乗停止の処分を受けることに…。中央の騎手が地方競馬をすっぽかして中央で乗れないとは…哀れとしか言いようがない。どうもこの事件が天皇賞優勝騎手という彼の名声を崩壊させたように思われる。
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柴田政人(しばた まさと) (1948- )
通算1767勝、第60回('93)東京優駿優勝騎手(現調教師)
花の15期生と呼ばれる福永洋一岡部幸雄、伊藤正徳らと同期。ダービー制覇に執着したことは有名。デビュー4年目にして所属の高松三太厩舎のアローエクスプレスでダービー制覇を夢見るも皐月賞前になって未熟を理由に当時関東エースの加賀武見に乗替わりを命じられる。ミホシンザンの時は皐月賞を制しダービーは絶対と言われながらが骨折し断念。ようやくデビュー27年目にしてウイニングチケットで執念の勝利を収めた。
騎手時代の晩年、彼はよく「ダービーを勝ったら騎手をやめてもいい、という気持ちで乗らないと…」と言っていたが、ダービーを勝った翌年4月の落馬によるケガがもとで騎手をやめてしまった。
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柴田善臣(しばた よしとみ) (1966- )
デビューの年に12勝を挙げて新人賞を獲った、競馬学校1期生。GT6勝。ちなみ柴田政人調教師の甥。
インタビューなどでは飄々と受け応えする彼だが、かつて一度とんでもないことを言ってのけている。第118回('98)天皇賞で絶対本命サイレンススズカの故障発生・憤死によりタナボタ的に勝ちを収めた彼は、その時の全国中継されているTVインタビューでこう言った。「笑いが止まらない
last update : 2006/04/13
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島田功(しまだ いさお) (1945- )
優駿牝馬を5勝した騎手(現調教師)。しかもその5勝のうちに3連覇が含まれていたり、優駿牝馬を勝った翌週に東京優駿を勝ったりという離れ業を成し遂げている。
第40回('73)東京優駿では、単勝支持率66.6%のハイセイコーをタケホープで負かしている。もっともあのレースは内から凄い脚で伸びてくるイチフジイサミの進路を外から妨害したんだけど…。
ちなみに天才田原成貴はその東京優駿の島田功を見て騎手の道を進むことを決意したという。田原もとんでもないレースを見て騎手を志したものだが、あの田原成貴の心を惹きつけた島田の功績は賞賛に値する。
島田功の騎手人生は落馬で語られる。最大の落馬タカツバキ事件として伝説となっている'69年東京優駿での落馬。この時は殆ど無傷だったが、'72年9月の落馬では頭蓋骨と肋骨を折る。翌'73年秋、調教中に落馬し左足骨折。菊花賞でタケホープに乗れなくなる。そして'75年はに踏まれて左膝関節内のスジを断裂。ここまでくると哀れですなぁ…。
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<す>
【菅谷正己】【菅原勲】【菅原泰夫】【杉本清】【鈴木淑子】
菅谷正己(すがや まさみ) (1961- )
祖父はあの故・武田文吾調教師。父は菅谷禎高元調教師、武田博師と鶴留明雄師が叔父、栗田伸一騎手が従兄という血縁関係を持つ関西の騎手。2003年引退。通算3093戦287勝。
'99年の七夕賞をサンデーセイラで制し、サンデーサイレンス産駒の全10場重賞制覇に貢献。
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菅原勲(すがわら いさお) (1963- )
岩手のNo.1騎手。1999年、地方競馬騎手による中央GT初制覇。2004年3000勝達成。有名なお手馬はトウケイホープ、トウケイニセイ、メイセイオペラ。
2004年8月15日 3000勝を達成した
菅原勲騎手
岩手は冬がシーズンオフになるため年間レース数が南関や園田に比べ少ないので、全国リーディングで石崎隆之小牧太には及ばないが勝率では両者を上回る('99年は全国3位)。日本5大騎手を選出するならこの方も当確。
ちなみに彼は「岩手は良い」と言う。その理由はシーズンオフがあるからだそうだ。「オフがないとやってられねぇ」とまでおっしゃっておられた。第16回('99)フェブラリーSをメイセイオペラで勝った時は地元は既にオフで、あのレースは人馬ともに冬休み気分で勝った感じだったらしい。それだけも人も中央を相手にしないくらい抜けた存在なのだ。
last update : 2005/07/17
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菅原泰夫(すがわら やすお) (1946- )
史上5人しか達成していない、クラシック全冠制覇騎手の1人。現調教師。騎手通算6431戦769勝。
特に圧巻なのは'75年の、牡馬は狂気の逃げカブラヤオー、牝馬は史上最強女傑テスコガビーで、皐月賞ダービー桜花賞オークスの4冠独占だ。
彼は恐いもの知らずな騎手だったらしい。あるレースで、加賀武見が最終コーナーで馬場が悪くなっていたために外めにを出したら空いたインを強引に菅原が突っ込んで勝ったことがあった。レース後、当時誰も逆らえない存在だった加賀が「危ないじゃないか」と菅原を責めようとすると、「インを空ける加賀さんが悪いんですよ」と彼は言い返した。これには加賀も何も言えなかったとか。こういう気概があってはじめて大記録は達成できるのだろう。
last update : 2005/07/17
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杉本清(すぎもと きよし) (1937- )
関西テレビのアナウンサー。奈良県大和高田市出身。奈良県立高田高等学校、関西学院大学法学部卒。大学在学中の1960年に知人のツテを頼って関西テレビにアルバイトとして入社。最初は大道具担当、ついで編成担当だったが、翌1961年、先輩の松本暢章(故人)に勧められアナウンサー試験を受験し合格。同年の冬に研修で松本に連れられて行った阪神競馬場で馬券を的中させ、以来、競馬の魅力にとりつかれる。競馬中継に関わったのは'62年の桜花賞のパドック進行が最初。同年6月にはダイジェスト番組の中で毎日杯の実況も担当。中継中のメイン実況を松本から譲られるのは競馬中継がカラー化された'69年。以後、定年退職する'97年2月まで実に35年に渡り関テレの第一線で実況を続けた。
杉本清
松本アナからメイン実況を譲られて最初の実況は'69年の桜花賞であった(優勝馬 ヒデコトブキ)。杉本氏曰く、「まさかそんなに早くクラシックの実況ができるとは思っていなかった」そうである。というのも、それまで大きなレースは全て松本アナが実況していたためだ。松本アナは「杉本にもいずれは天皇賞ぐらいは実況させてやる」と言っていたそうである。つまりこのときは松本アナも桜花賞を譲る気はなかったようなのだ。しかし、競馬中継をカラー化することに伴い中継時間が1時間から1時間半に延長され、それにより番組の司会進行役と実況専門のアナウンサーに分けるとプロデューサーが言い出した。「杉本は実況専門にやれ。松本には司会進行をやってもらう」と。そこで杉本氏は「松本さんが実況を、ましてクラシックを譲るはずないでしょう」と言うと、プロデューサーは「お前はもう十分にできるから、オレが松本を説得する」と。こうして、以降は杉本氏が実況をやっていくことになったのである。
ちなみにその'69年の桜花賞の実況で杉本氏は、前半800mの通過ラップタイムを伝えた。今でこそラップタイムを実況に織り交ぜるのは当たり前だが当時としては画期的なことだった(もっとも杉本氏はそれほど重要だとは思っていなかったようだが…)。なぜそんなことをしたかというと、当時のトップジョッキー・栗田勝騎手から、「桜花賞というのは、前半の半マイルを47秒で行くと“魔の桜花賞ペース”といって、先行馬が全部つぶれるぞ」と聞かされていたから。そしてレースでは見事に後方にいたヒデコトブキがトウメイをかわして優勝している。
氏が実況のスタイルを変えたと言えばもう1つ。これはテレビ実況ならではの話だが、当時はテレビ中継であろうと実況する人は双眼鏡を使ってレースを追って実況するのが常であった。杉本氏も当然そうしていた。しかし、'73年の天皇賞(春)で、本命馬タイテエムを双眼鏡で探すうちに見失ってしまったのである。ところが中継のテレビ画面にはしっかりタイテエムが捉えられていた。これをレースの数日後に視聴者から指摘され、以降は双眼鏡を介した実況からテレビモニター重視の実況へと変えたのである。このスタイルは後輩へと受け継がれているようである。
杉本氏の名実況をリストアップ。
  • ハイセイコー、この淀のコースの走り心地はどうだ」('73年京都新聞杯 優勝馬トーヨーチカラ)
  • ハイセイコーがたまらんという感じで先頭に立ちました。 (中略) 3コーナーの下り、ゆっくりとゆっくりと、ゆっくりと下らなければなりません。ゆっくりと下らなければなりません。 (中略) ハイセイコーかタケホープか、ほとんど同時、ほとんど同時、内ハイセイコー、外タケホープ!」('73年菊花賞 優勝馬タケホープ)
  • 「後ろからはなーんにも来ない」('75年桜花賞 優勝馬テスコガビー)
  • 「見てくれこの脚、見てくれこの脚、これが関西の期待テンポイントだ」('75年阪神3歳ステークス 優勝馬テンポイント)
  • 「あなたの、そして私の夢が走っています」('76年宝塚記念 優勝馬フジノパーシア)
  • 「それ行けテンポイント、鞭などいらぬ、押せっ! テンポイント先頭だ!」('76年菊花賞 優勝馬グリーングラス)
  • 「これが夢に見た栄光のゴールだ」('77年天皇賞(春) 優勝馬テンポイント)
  • 「さぁさぁ、一騎討ちか。トウショウボーイがまたちょっと出た。これは世紀のレース、世紀の一戦だ! (中略) 中山の直線を、中山の直線を流星が走りました。テンポイントです。しかしトウショウボーイも強かった」('77年有馬記念 優勝馬テンポイント)
  • 「あ、どうしたんだ、テンポイントおかしいぞ (中略) テンポイントは競走を中止した感じ、これはえらいこと、えらいことになりました」('78年日本経済新春杯 優勝馬ジンクエイト)
  • 「金襴緞子が泥にまみれてゴールイン」('81年桜花賞 優勝馬ブロケード)
  • ミスターシービーが上がって行った、京都の正念場、第3コーナーの上りで行った、上りで行ったぞ! (中略) 大地が、大地が弾んでミスターシービーだ! 史上に残る三冠の脚」('83年菊花賞 優勝馬ミスターシービー)
  • 「菊の季節に桜が満開!!」('87年菊花賞 優勝馬サクラスターオー)
  • 「これはゼッケン番号6番、サンドピアリスに間違いない!」('89年エリザベス女王杯 優勝馬サンドピアリス 20頭立ての20番人気、単勝430.6倍という全くの人気薄の激走に対して)
  • 「負けられない南井克巳、譲れない武豊('89年マイルチャンピオンシップ 優勝馬オグリキャップ)
  • 「メジロはメジロでもマックイーンの方だ!」('90年菊花賞 優勝馬メジロマックイーン このレースの1番人気はメジロライアンだった)
  • 「あなたの夢はマックイーンか、ライアンか、ストーンか。私の夢はバンブーです」('91年宝塚記念 優勝馬メジロライアン バンブーメモリーは最下位)
  • 「山田泰誠はこのの力を本当によく知っている」('93年阪神大賞典 優勝馬メジロパーマー)
  • 「今年だけもう一度頑張れ! マックイーン! しかしライスシャワーだ、昨年の菊花賞でミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワーだ!」('93年天皇賞・春 優勝馬ライスシャワー)
  • 「抜けたー! ライデン! (絶句) これは強い、恐れ入った! (中略) いや〜、ビックリしましたなぁ、大坪さん」('95年4歳牝馬特別(桜花賞トライアル) 優勝馬ライデンリーダー)
杉本氏は競馬関係者に恐れられている。というのも、杉本氏がどこかの予想紙などで◎を打ったは勝てない、というジンクスが広まっているからである(しかもタチの悪いことに杉本氏本人は◎を打ったの馬券を買うことは滅多にない)。2002年の東京優駿の直前、タニノギムレットの関係者は揃って「は絶好調だし心配することはほとんどないが、杉本さんの◎だけが唯一心配だ」と真面目に語っていた(結果はタニノギムレット優勝)
last update : 2006/03/10
first enty : 2006/03/10


鈴木淑子(すずき よしこ) (1957- )
競馬ジャーナリスト。
川村短期大学英文科を経て、三菱重工業(株)秘書課でOLを経験。同社退職後、TBSテレビ『夕やけロンちゃん』で放送業界デビュー。
競馬に関係するようになったのはミスターシービーが優勝した'83年の弥生賞から。現在でも大きなレースがあるときだけ『スーパー競馬』に顔を出す。決まって大きくド派手な帽子をかぶって出てくるが、いつしかこのキャラクターが定着。しかし潮哲也の横に座っていた時はさすがに帽子はかぶってなかった。
last update : 2006/05/09
first enty : 2006/05/09



<せ>
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<そ>
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