「楡馬」版−競馬辞典

―― 人物編 ――
last update : 06/06/01


<な>
【内藤繁春】【中島啓之】
内藤繁春(ないとう しげはる) (1931- )
JRA調教師。'49年騎手を志して公営・名古屋競馬に入門。その後、公認競馬国営競馬に移籍し、'52年騎手デビュー。「中京の小鬼」の異名をとった。'68年引退までに2895戦307勝。主な勝ち鞍は'66・67年宝塚記念
'68年調教師に転身。2001年引退までに通算893勝。出走回数1万1201回は歴代1位。主な勝ち鞍は、'70年ビクトリアカップ(クニノハナ)、'79年菊花賞(ハシハーミット)、'91年有馬記念(ダイユウサク)など。
この人の何が素晴らしいって、調教師引退が迫った2000年10月に発表した「70歳騎手復帰」宣言だ。周囲の人間は「危険だからやめろ」とか「を用意してあげますよ」とか、賛否両論だったようだが、話題提供という意味では良かったと思う。英国では74歳まで騎手を務めたフォークナーという人がいた(1902年引退)し、その気になれば可能だったと思う。ただ、騎手免許試験の一次試験の実地試験で「飛び乗りの左右から人の手を借りずに乗ること)」で肩が上がらず“不可”。結局、不合格となってしまった。しかしその挑戦心は高く評価したい。
少しでもに関わっていたいという気持ちから、園田で馬主もやってみたそうだが上手くいかなかったようだ。「生涯、一ホースマン」の姿勢を死ぬまで貫いてもらいたい。
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中島啓之(なかじま ひろゆき) (1943-1985)
東京優駿父子制覇第1号(父・時一は第6回('37)ヒサトモで)。主な勝鞍は有馬記念('73年ストロングエイト)東京優駿('74年コーネルランサー)皐月賞('82年アズマハンター)など。6635戦729勝(重賞29勝)
酒で肝臓を病み、肝臓ガンで余命幾ばくもないことをダービーの3日前に知らされながら「ダービーだけは乗せてくれ」と医師の反対を押し切り、自厩舎のトウショウサミットに騎乗。しかしその16日後の'85年6月11日、トウショウサミットのダービーを最後の騎乗に42歳の若さでこの世を去った。
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<に>
【西田雄一郎】【二本柳壮】
西田雄一郎(にしだ ゆういちろう) (1974- )
通算95勝、主な勝鞍は七夕賞('96年サクラエイコウオー)という成績で'99年に一旦引退しながら、2005年に騎手試験に再度合格して見事復活した騎手。
'99年の夏、自動車を運転していたところ速度違反で捕まった。これがもとで彼は騎手を引退するハメに…。「速度違反」だけに、どこかの新聞で「西田式スピード違反指数予想」とか始めないものか。…と思っていたら牧場で調教助手などを勤めながら復活の機会をうかがっていたそうで…。大したもんです。
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二本柳壮(にほんやなぎ そう) (1981- )
'99年デビューの騎手。'99年はいきなり23勝と大健闘。
父方の祖父は二本柳俊夫(オートキツで第22回('55)東京優駿優勝)、母方の祖父は野平祐二(スピードシンボリで'69年凱旋門賞挑戦)という、いわば「名血」。類似例に栗田伸一騎手がいるが、今後この栗田になるか「名血」を花ひらかせるか、注目である。
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<ぬ>
該当項目なし

<ね>
【根本康広】
根本康広(ねもと やすひろ) (1956- )
第54回('87)東京優駿優勝騎手(騎乗馬メリーナイス)。映画『優駿』にも出演した、お騒がせ騎手(現調教師)。騎手成績:2633戦235勝。
彼の大きなお騒がせ歴は2つ。1つは第92回('85)天皇賞で絶対負けないと言われたシンボリルドルフを、当時オープンにもなっていなかったギャロップダイナで負かしてしまったこと。もう1つは第36回('87)有馬記念ダービー馬メリーナイスで発馬直後に大落馬をかましたこと。とにかく大舞台での根本は要注意だった。
他にもあるが、面白いのは'86年の朝日杯3歳Sをメリーナイスで勝った時のこと。この数週間前のジャパンカップを勝ったパット・エデリーのヨーロピアン・スタイルの騎乗法をカッコいい、マネしたいと考えていた彼は、このレースの最後の直線で「ヨーピアン・スタイルもどき」を披露。でもこれがに負担をかけているようにしか見えなくて面白いので是非見ていただきたい。
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<の>
【野平祐二】
野平祐二(のひら ゆうじ) (1928-2001)
中央競馬時代に1188勝(国営時代を含めると1339勝、生涯連対率.345)スピードシンボリ有馬記念連覇、凱旋門賞出走を果たし、「ミスター競馬」と呼ばれた騎手にして、七冠馬シンボリルドルフを育てた調教師。2004年競馬殿堂顕彰。
31年間の騎手生活の中でダービーを勝つことはなかったが、'57・'58年リーディング。特に'58年の年間121勝は19年後に福永洋一に抜かれるまで最多勝記録を誇った(競走馬資源が枯渇していた時代の121勝は驚異的。勝率は.259にもなった)。'59年にはオーストラリアに遠征し、戦後初めて日本人騎手による外国レース優勝を果たした。また保田隆芳が伝えたモンキー乗りを成熟・定着させた功績も大きい。引退レースとなった目黒記念(春)('75年)をカーネルシンボリで勝ってしまうところなどはさすが野平祐二である。
2000年2月に定年を迎える数ヶ月前、某所において、うどんを食べた彼は、「ごはん食べなきゃ」と言って又うどんを食べたらしい。既に痴呆症が始まっていたことを考えれば、丁度良い定年だったわけだ。
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