「楡馬」版−競馬辞典

―― 人物編 ――
last update : 06/10/19


<か>
【加賀武見】【嘉堂信雄】【河内洋】
加賀武見(かが たけみ) (1937- )
'62〜'66、'68、'69年の計7回最多勝騎手に輝くなど、数々の大レースを制した大騎手(現調教師)。8664戦1352勝(重賞68勝)
デビューの年('60年)に58勝を挙げ大物新人として騒がれた。ちなみにこの記録は'87年に武豊が現れるまで破られることがなかったが、今ほど競走馬の絶対数が多くなく若手に簡単に乗りが巡って来ない時代の記録だけにその凄さは計り知れない。
彼の騎乗スタイルは「ケンカ競馬」。他騎手とのハナの叩き合いで共倒れし、レース後2人とも裁決室に呼ばれたなどの逸話も多い。騎手会長時代「最近の若手騎手はおとなしすぎる。もっとターフで暴れなければ…」と嘆いていたという。まったくもってその通り!
一番の逸話は「シンザン打倒の執念」であろう。特に壮絶なのはシンザン最後のレース・有馬記念。加賀は「(逃げである騎乗馬ミハルカスで、天皇賞のように大きく逃げるのではなく)つかず離れず逃げる。最後の4角でわざと外へふくれる。後ろについてくるはずのシンザンは、開いたインコースに飛び込むはず。しかし今の中山の4角は馬場が大変荒れているから、通るコースの差で勝てるはず」と考えた。 ところが、実際のレースでは、シンザンはコースロスを無視してミハルカスの外を通った。計画が狂った加賀は仕方なく外へ外へと走ってシンザンをスタンドとコースの間の側溝に落としてしまおうとした。シンザン抹殺を目論んだのである。瞬時にこんなことを考えつくとは、加賀恐るべし。(もっともこれでもシンザンが勝ってしまうのだから、シンザンが如何に強かったか)
ちなみにその有馬記念では、武田文吾シンザン栗田勝を乗せないと決めたことから騎手を探すことになり、加賀に依頼したが、加賀はどうしてもシンザンを負かしたかったので依頼をきっぱり断っている。
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first enty : 2005/07/16


嘉堂信雄(かどう のぶお) (1953- )
関西の障害専門騎手。(平地での騎乗経験がゼロの騎手は嘉堂一人となってしまった)
今では障害専門騎手もめっきり減ってしまったが、障害騎手の中では彼が現在第一人者である('99年は10勝で専門騎手中1位、2003年には11勝で最多勝利障害騎手)。しかし嘉堂が第一人者かぁ。星野忍や大江原哲、古小路重男、押田年郎らがいた時代は今は昔…。
彼は「飛越ムチ!!」なる秘技を持っている。早い話が飛越中にムチを入れてしまうのだ。はっきり言って危なっかしいことこの上ないが、これで障害人気が上がればもっと多用してもらいたい。
2005年5月14日京都9R、京都ハイジャンプで優勝(エリモカントリー)。'78年にデビューして以来苦節28年目にして障害重賞最多勝利(14勝)を達成した。
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河内洋(かわち ひろし) (1955- )
人呼んで「桜花賞男」(4勝)
人呼んで「牝馬の河内」。
人が呼ばなくても武豊の兄弟子。
'79年ハシハーミットで菊花賞制覇。'80、'85、'86年最多勝騎手。'96年マーメイドS重賞100勝達成(保田隆芳岡部幸雄に次ぐ3人目)
主な騎乗馬は、ニホンピロウイナー、サッカーボーイ、オグリキャップ、メジロラモーヌ、ダイイチルビー、ニシノフラワー、メジロブライト、アグネスフライト、アグネスタキオン。他にカツラノハイセイコやヒカリデュールでそれぞれ天皇賞(春)、有馬記念勝ち等…。2003年引退、現調教師。騎手通算14940戦2111勝、重賞134勝。'77〜2002年まで26年連続重賞勝利。
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<き>
【菊川正達】
菊川正達(きくかわ まさたつ) (1962- )
通算63勝。'98年騎手引退。2000年調教師2次試験に合格、晴れて調教師に。
特にこれといった勝鞍もなく平凡な騎手人生だった彼だが、1つだけデカい記録があった。日本レコードに名を残していたのだ。府中ダート2300mの2分22秒7(騎乗馬ベルクレール)がそれ。しかし、2002年東海Sでハギノハイグレイド(福永祐一騎乗)にコンマ4秒塗り替えられたため、今は「菊川正達」の名はどこにも残っていない。
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<く>
【久保敏文】【熊沢重文】【栗田伸一】【栗田勝】
久保敏文(くぼ としふみ)(1943- )
日本競馬史上もっともファンタスティックかつエキサイティングな追い方をした騎手。4687戦562勝。
その個性的な追い方が顕著だったのが第45回('78)の東京優駿。レースは加賀武見のメジロイーグルが驚異の大逃げ。直線でそれを小島太のサクラショウリなどが捕らえにかかる。遅れてインを突いた久保のアグネスホープが追う。が、アグネスの勝負所でメジロが後退し行き場を塞がれた久保は追い出しが微妙に遅れる。これを必死に外へ持ち出すと、不利を取り戻そうと彼は鬼に取り憑かれた様にを追う。しかしいち早く抜け出したサクラショウリに先着されダービーを逃した。
この後、小島太がもう一度ダービーを勝つのに対し、久保はダービーを勝てずに引退することに…。しかし'69年桜花賞(ヒデコトブキ)、'77年天皇賞(秋)(ホクトボーイ)など八大競走勝利や、現在も並ばれてもいない阪神大賞典3連覇などの記録も残している。それだけに彼のを追う姿をビデオなどで見る機会がまるでないわけではないので、一度見るとよい。これまでの概念が覆されるほどの衝撃を受けることだろう。
ちなみに現在は会社社長となり、なんと馬主資格まで取得している。恐らく騎手から馬主となったケースは初と思われる。是非とも騎手時代に成し得なかったダービー制覇を馬主で果たしてもらいたいものである。
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熊沢重文(くまざわ しげふみ) (1968- )
'88年オークス重賞初勝利(コスモドリーム)。'91年有馬記念制覇(ダイユウサク)。それほどのジョッキーが今も障害に騎乗し勝っている('99、2000、2002、2004年は最多勝利障害騎手)。同じオークスジョッキーで障害騎手といえば岡冨俊一騎手もいたが、彼は平地でも障害でも熊沢には勝てなかった。この差は一体何なのだろう。
平地と障害を両立しているジョッキーはあまりいない。それだけに熊沢はエライのだが、障害ではあまり稼がないようにしていると思われる。障害を専門にしている騎手を敵に回さないためではなかろうか。
そうやってうまく両立させてきた結果、彼は'96年12月8日、初の障害勝ちを含めた1日5勝」という偉大な記録を達成している。また、通算500勝目と800勝目は障害で挙げた。
彼は有馬記念を勝ったときに「中山に来て勝ちたいのは有馬記念よりも中山大障害なんです」と答えている。今のように障害レースにグレード制が敷かれ脚光を浴びるようになる以前の話だ。こんな彼に今後目指してもらいたいのは小島貞博以来途切れている中山大障害東京優駿勝利騎手だ。
余談だが彼は、ダイユウサクで有馬記念を勝った副賞に貰った車を酔っ払い運転して、わずか数週間後に栗東の土手に転落させたという武勇伝を持っている。
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栗田伸一(くりた しんいち) (1959-2004)
父が栗田勝、祖父が武田文吾という「名血」騎手。
そんなわけでデビュー当時は非常に持て囃された。しかも初騎乗から2連勝という快挙も成し遂げたのに、鳴かず飛ばずで2001年にひっそり引退…(調教助手に転身)。通算3042戦216勝(うち重賞1勝)。2004年病気のため死去。
last described on 2005/07/17
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栗田勝(くりた まさる)(1932-1980)
シンザンの主戦騎手として有名な騎手(元調教師)。師匠の武田文吾師は義父。騎手通算4255戦766勝(うち重賞51勝)
クラシック完全制覇した騎手の第1号。内訳は、'57年ミスオンワードで桜花賞優駿牝馬、'60年コダマで東京優駿、'64年シンザンで牡馬三冠、'65年ダイコーターで菊花賞
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<け>
該当項目なし

<こ>
【小島貞博】【小島太】【後藤浩輝】【小牧太】【昆貢】
小島貞博(こじま さだひろ) (1951- )
数少ないダービー2勝ジョッキーのうちの1人。通算495勝重賞27勝、障害68勝)。田嶋翔騎手は次女の婿。
ミホノブルボンに出会うまではクラシックに縁もなく、活躍の場は障害レースだった。有名なお手馬はキングスポイント(テンポイントの弟)。同馬で中山大障害を春秋連覇している('82年、第88・89回)
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小島太(こじま ふとし) (1947- )
数少ないダービー2勝ジョッキーのうちの1人(現調教師)。騎手通算8476戦1024勝。
とにかく現役時代はサクラと義父の境勝太郎調教師にオンブにダッコ。調教師になってからは、勝太郎から引き継いだサクラローレルはダメにする、サクラには半ば見放され状態、という有り様。その後どうなることかと不安な状態が続いていたが、イーグルカフェで第5回(2000年)NHKマイルCを制し、サクラからの独り立ちを果たす。
最近はそうでもなくなったが、調教師になりたてのころの彼の服装はおかしかった。'96年の有馬記念の時なんか、ありゃヤクザ同然だったぞ(右図参照)。ちなみに巷では「ピンクの勝負服がよく似合う男」などと称されていたらしいが、それは内田利雄の間違いなので誤解のないように…。
last described on 2007/04/21
first enty : 2005/07/17


後藤浩輝(ごとう ひろき) (1974- )
1999年8月19日、美浦トレセン内の独身寮「若駒寮」において木刀で吉田豊騎手を殴り、さらに謝る吉田を足蹴にした暴力騎手。
事の発端は同月15日の新潟3Rのスタート前の輪乗り中、後藤騎乗のフェイスフルアクトが、吉田騎乗のマチカネラッパを蹴ったことで口論となり、レース後の検量室では後藤がつかみかかる等したことにあったらしい。
この木刀殴打事件により、即座に後藤が騎乗停止になったことと、吉田のケガのため同月21日の新潟競馬では計17頭もの騎手変更(史上最多)が行われ、当時エンディングソングに後藤の歌を使っていたテレビ東京の「土曜競馬中継」が急遽歌を差し替えた、などの大きな影響が出た。
ちなみに事件当日、木刀を持って吉田の所へ向かう後藤を見かけた職員がほどほどにしとけよと声をかけたとか…。止めにも入らなかったこの職員にお咎めがあったかどうかは知らないが、後藤には裁定の結果12月18日まで騎乗停止という処分が下った。が、復帰週の日曜に早速斜行で騎乗停止をもらった。
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小牧太(こまき ふとし) (1967- )
アラブのメッカ・園田姫路競馬におけるカリスマ的存在だった騎手。現在はJRA騎手(2004年移籍)。全国のアラブにとってダービーに相当する楠賞全日本アラブ優駿を3度制覇。兵庫での重賞は57勝(歴代1位)。地方通算3376勝、勝率22.5%、連対率38.6%。
園田での引退セレモニーでの小牧太
地方時代の彼は毎年のように、1年の目標を「全国1位」と公言していた。実際'94、'98年は石崎隆之を抑えて全国リーディングに輝いた。その腕は間違いなく日本の5指に入るものがある。
中央・地方交流が行なわれるようになった頃、サラブレッドの競走がなかった園田だけに、当時は「小牧太」の名はあまり知られていなかったようだが、'99年から園田姫路のサラ導入により太に中央での騎乗が回ってくるようになり、阪神競馬場で行われた第35回('01)フィリーズレビュー(旧4歳牝馬特別)(騎乗馬ローズバド)で中央重賞初勝利を挙げた。
デビュー年の2004年にいきなり重賞3勝を挙げる。早くGTを勝つ日を待ちたい。
last described on 2005/07/17
first enty : 2005/07/17


昆貢(こん みつぐ) (1958- )
変わった記録を持つ騎手(現調教師)。1121戦92勝。
クラシックレースに一度も騎乗することなく引退していく騎手が多い中、彼はたった一度だけそのチャンスがあった。そのレースは'84年4月8日、第44回桜花賞。しかしあろうことに、直前になって騎乗予定のカツラノイシキリが出走取消。結局彼は「登録はされたのに一度もクラシックに騎乗したことのない騎手」という、有難くない記録をもって大した活躍もなく引退してしまった。
last described on 2005/07/17
first enty : 2005/07/17




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