「楡馬」版−競馬辞典

―― 人物編 ――
last update : 06/06/08


<は>
【萩本欽一】【函館大経】【函館大次】【函館孫作】【函館喜弘】【浜野谷憲尚】
萩本欽一(はぎもと きんいち) (1941- )
ご存知、日本が誇るコメディアン。
彼は馬主でもあり、主な所有馬には、'77年の皐月賞東京優駿に出走したパリアッチ、増沢末夫の2000勝目を勝たせたビヨルリンク、第35回('99)小倉記念優勝馬アンブラスモアなどがいる。
アンブラスモアを購入したきっかけというのが、前川清が新宿コマ劇場で舞台に出てるときに、須貝彦三調教師がふらっと遊びに来て「今度なにか買ってよ」と言うから、「すぐ使えていいのがあったら」とサラリと返したところ、「ありました」とすぐに電話で返事がきて欽ちゃんと持つことになった、という。を買うのってそんなあっさりしたもんなの?
last update : 2005/07/16
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函館大経(はこだて たいけい)(1847-1907)
元の名を斎藤義三郎といい、後に小野家の養子となる(小野義三郎)。1870(明治3)年9月23日、義三郎は魂招社競馬(現 靖国神社)において明治天皇臨席の元で外国人騎手との競走に勝つ。天皇の側近が義三郎を「函館出身の者」と紹介したところ、明治天皇は「函館か。大慶じゃ、大慶じゃ」と嘉賞したため「函館大経(大慶)」と名乗った。大経の門下生には武彦七(武邦彦の祖父)らがいた。
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函館大次(はこだて たいじ)(??-??)
函館大経の実弟で後に養子となる。大久保房松と函館孫作の師であり、尾形藤吉からは「先生」と敬慕された。大久保房松は'33年に行われた第2回東京優駿カブトヤマに騎乗して優勝した。また郷原洋行、田村駿仁、飯塚好次、大沢真らの師となる。
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函館孫作(はこだて まごさく)(1889-1959)
栄えある第1回の東京優駿の優勝騎手(騎乗馬ワカタカ)。このときの彼は44歳で、かなり高齢の部類であるが、孫弟子にあたる増沢末夫が最年長ダービー制覇の記録を持っているので何となくうなずける。
ちなみに彼は、明治天皇から姓名を賜った函館大経の3代目にあたる(函館大次の婿養子)。この函館大経は「日本における西洋馬術の始祖」と呼ばれる人物。これを聞くと、孫作は勝つべくして勝ったとも言える。
孫作は、目黒競馬場を拠点としていたが'33年の競馬場解体に伴い中山競馬場に移籍。鈴木勝太郎、高橋英夫ら後継者を育てる。'50年ごろ地方競馬・大井競馬場での調教に携わる。後に孫作は船橋競馬場に移籍する。
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函館喜弘(はこだて よしひろ)(1940-2004)
函館孫作の孫で後に養子となった、船橋競馬の調教師。しかし2004年、に蹴られて死亡した。名誉ある函館一族の人間としては恥ずかしい死に方である。
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浜野谷憲尚(はまのや のりひさ) (1972- )
  弟が一線級で活躍している競艇選手という、関東の騎手。競艇ファンで「浜野谷」の名を知らない者はないが、競馬ファンで「浜野谷」の名を知らない者は多い。
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<ひ>
【平目孝志】
平目孝志(ひらめ たかゆき)(1960- )
'96年3月9日、第3回マーチSで、アミサイクロンを駆って初重賞勝利を成し遂げた騎手。通算95勝。
ちなみにこのレースは単勝1万0060円(14番人気)馬連8万8960円の大波乱。これだけの大穴配当を呼び込んだのだから、平目もさぞ脚光を浴びるだろうと思われたが、そのレースの数分後、阪神大賞典でナリタブライアンとマヤノトップガンの世紀のマッチレースのため、完全に印象が薄れてしまい、『平目、大穴あける!』の記事の扱いは小さかった…。
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<ふ>
【福永祐一】【福永洋一】【藤田伸二】
福永祐一(ふくなが ゆういち) (1976- )
天才福永洋一の2世として騒がれた中で'96年デビューした騎手。
初重賞制覇したときの
福永祐一
栗田伸一騎手以来となる、デビュー2連勝という鮮烈デビューをかますも、1ヶ月後には負担重量不足で失格をはたらく(ちなみに父・洋一も1度やらかした)。これによりこの年の新人最多53勝を挙げながら最優秀新人騎手の表彰を取り逃す。
第59回('99)桜花賞でGT初勝利を果たす(騎乗馬プリモディーネ)。しかし6日後、レース前の返し馬で落馬し左腎臓の一部摘出をする大怪我を負う。
そんな彼も2005年には大ブレイク。年間GT5勝。おまけにアメリカン・オークスをシーザリオで優勝。アメリカGTを勝った初めての日本人となった。岡部幸雄も成し得なかったことを、武豊よりも先にコイツがやると誰が予想しただろう。
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福永洋一(ふくなが よういち) (1948- )
'70〜'78年最多勝騎手(9年連続は最高記録)に輝いた騎手。通算5086戦983勝。武田文吾門下。岡部幸雄柴田政人、伊藤正徳らとは同期。2004年競馬殿堂顕彰。
主な勝鞍は、第32回('71)菊花賞(ニホンピロムーテー)、第66回('72)天皇賞(ヤマニンウェーブ)、第73回('76)天皇賞(エリモジョージ)、第37回('77)皐月賞(ハードバージ)、第37回('77)桜花賞(インターグロリア)、第38回('78)桜花賞(オヤマテスコ)
調教師の指示通りに乗らずに勝たせたとか、逃げを追い込ませて勝たせたりしたとか(勿論その逆も)、もう勝てないと言われたをあっさり勝たせたなど色々と逸話は多い。調教師に「もうこのは勝てない」と言われた馬主が「一度だけ福永を乗せてくれ。それでダメなら諦める」という話も珍しくなかったらしい。
「変幻自在」「天衣無縫」な騎乗スタイルやカリスマ性から、いつしか「天才」と呼ばれるようになったが、'79年3月4日の毎日杯落馬し、頭蓋骨骨折、脳挫傷、舌裂傷を負い、一命は取り留めたが騎手生命を絶たれた。
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藤田伸二(ふじた しんじ) (1972- )
競馬学校出身の東京優駿優勝騎手第1号。通称「社長」。
第42回('97)有馬記念をシルクジャスティスで勝った日の前夜、遅くまで田原成貴と話し込んでいたそうだが、一体何の話を…?っていうよりホントに話だけか?
2006年12月21日、栗東の飲食店にて店の従業員に対して暴力行為に及び、そのことで3ヶ月間の騎乗停止を喰らった。藤田は2004年にJRAから「特別模範騎手賞」の表彰を受けており、それを意識したのか、「人を殴ったら書類送検されて騎乗停止になる」ということをJRAの全騎手に範を示したのである。えらいぞ、藤田!
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<へ>
該当項目なし

<ほ>
【宝来城多郎】【穂苅寿彦】【星野忍】【細江純子】
宝来城多郎(ほうらい じょうたろう) (1972- )
ワンモアラブウエイで第46回('92)カブトヤマ記念、ファンドリショウリで第32回('96)中日新聞杯と第34回('96)愛知杯を制し、3つしかない父内国産重賞を全て勝った騎手(2004年引退)。通算180勝。重賞4勝。
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穂苅寿彦(ほかり としひこ) (1979- )
'96年の福永祐一、'97年の池田鉄平に続いて初騎乗初勝利を飾った騎手。
デビュー後1ヶ月は問題なく乗れていたのだが、'98年4月11日の中京4Rで事件は起こった。彼は減量に失敗し予定の重量を700gオーバーしてしまったのを、前検量でそれを巧く誤魔化し騎乗。ここで7着までに入らなければ後検量せずに済んだものを、6着に入ってしまい、企てがしっかりバレたのだった。
当然、(30日間の)騎乗停止の処分を受けたが、あの一件以来、他厩舎からの騎乗依頼はさっぱりである。
ちなみに、減量はサウナなどで汗をかいて行なうのが一般的らしいのだが、そこで絞り切れなかった彼の汗700gを350cc缶2本セットで売ってみるのはどうだろう。商品名は勿論「ホカリスウェット」
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星野忍(ほしの しのぶ) (1950- )
障害競走254勝の最多記録を持つ、障害界最高の騎手(現調教師)
他に中山大障害7勝の最多記録も持っている('80年春オキノサコン、'83年春秋オキノサキガケ、'89年春キョウエイウォリア、'90年秋ワカタイショウ、'96年春秋ポレール)
今後この人に期待したいのは、中途半端にダービー天皇賞など狙わずに、世界に通用する障害馬を作ることだ。もちろん障害も走りつつ天皇賞有馬記念を勝ってしまっても一向に問題はない。
last update : 2005/07/16
first enty : 2005/07/16


細江純子(ほそえ じゅんこ) (1975- )
JRA騎手。JRAが初めて送り出した女性騎手の1人。和田竜二や福永祐一らと同期の「花の12期生」の1人。493戦14勝(他にシンガポールで2勝)。現在は自称「ホース・コラボレーター」。
高校卒業後はOLとして社会人を経験。年齢的にも人格的にも競馬学校12期生の中で“お姉さん”的立場だったらしく、いつも険悪な仲の牧原由貴子と田村真来の仲裁をしていた(それぞれ競馬学校を卒業して細江が関西所属になると牧原と田村の仲の悪さは決定的なものになったらしい)
デビューした'96年から毎年勝ち鞍を挙げ、'99年にはシンガポールで勝利して日本女性騎手初の海外勝利騎手となった。しかし手術した両足首の痛みがひどく、騎手を続けられなくなり2001年3月の騎乗を最後に2001年6月引退。'96〜2001年の6年連続勝利はJRA女性騎手最長記録。
酒豪として有名で、酔うと手がつけられないらしく、テレビ番組の放送中に酔った勢いで放送禁止用語を言い放ったことがある。
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first enty : 2006/06/08




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