「楡馬」版−競馬辞典

―― 馬編 ――
last update : 07/04/20


<た>
【ダイシンボルガード】【タカツバキ】【タケシバオー】【タチカゼ】【タニノハローモア】
ダイシンボルガード (1966-??)
第36回('69)東京優駿優勝馬。父・イーグル、母・ワカザクラ。24戦7勝。タカツバキ落馬もあったが、当時弱冠24歳の大崎昭一の手腕により6番人気でダービー制覇を果たす。
ところで、この馬名の由来は「きなシンボル(男のアレ)ガードする」ということではないらしい…。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


タカツバキ (1966-??)
第29回('69)皐月賞3着馬。父・シプリアニ、母・ニユーフーム
皐月賞を制したワイルドモアがダービーを前に故障を生じ脱落。一気に混戦模様となり、それが手伝ってか、売上約56億円、入場者数16万人と新記録が樹立された第36回東京優駿。その1番人気に推されたのがこのタカツバキだった。
4枠11番に入ったタカツバキ。ゲートが開いて一斉にスタート。1コーナーに向かって馬群が一気に詰まる。両側から挟まれたタカツバキは行き場を失い、騎乗していた島田功騎手がなんと落馬。ゲートが開いて僅か数秒で25億円もの夢が散った。ちなみにダービーを1番人気で落馬したのは島田功以外には誰もいない。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


タケシバオー (1965-1992)
第59回('69)天皇賞(春)優勝、'69年年度代表馬。父・チャイナロック、母・タカツナミ。29戦16勝(うち海外2戦0勝)。2004年顕彰馬。初の1億円ホース。
朝日杯3歳Sを勝ち、「西のマーチス、東のタケシバオー」と言われ、後に台頭してくるアサカオーを加えて3強を形成。弥生賞皐月賞NHK杯と続けてマーチスの2着。ダービーではマーチスにもアサカオーにも先着するもタニノハローモアに敗れ無冠に終わる。(11月に米ワシントンDCインターナショナル挑戦のため菊花賞は不出走)
しかし4歳になって東京新聞杯(東京・ダート2100m)レコード勝ちを皮切りに、京都記念天皇賞(春)、毎日王冠を含む8連勝(うちレコード勝ち4回)を達成。
このの何が凄いって、芝・ダート、長距離・短距離、良馬場・道悪どれも関係なく勝ってのけるところ。圧巻は天皇賞を勝った5ヵ月後の英国フェア(中山・芝1200m)で62kgを背負ってレコード勝ち。レコード走は実に5回!(スガノホマレとともにサラブレッドのJRA記録)
ちなみに、タケシバオーが'69年3月1日に東京競馬場のダート1700mで60kgを背負って出した1分41秒9は、2006年8月27日サンライズキングに破られる(小倉1分41秒8、56kg)まで37年5ヶ月に渡りJRAレコードとして君臨した。こんなところからもタケシバオーの怪物ぶりが窺える。
last update : 2006/08/28
first entry : 2005/07/17


タチカゼ (1946-1965)
第16回('49)東京優駿優勝馬。父・プリメロ、母・第参パプース。16戦7勝。
第16回東京優駿セントライト、アルバイトの弟トサミドリに人気が集中。単勝支持率は実に55.78%にもなった。一方のタチカゼの単勝はたったの72票、19番人気だった。単勝配当5万5430(改めて平仮名で書けばごまんごせんよんひゃくさんじゅう)円は空前絶後のダービー史上最高記録である。
なにしろ管理する伊藤勝吉師が「勝てるわけがない」と。レース前に関西に帰ってしまったのだから期待の薄さが分かる。騎手の近藤武夫が「もし勝ったらどうしましょう」と尋ねると、「と一緒に熱海の湯にでも入って、賞金はきれいに使ってしまえ」と冗談を飛ばしたが、本当に勝ったと聞かされて腰を抜かしたという。
ちなみにこのダービー、2着シラオキ、3着ホウシュウまでがプリメロ産駒で、第3回のシアンモア産駒の1〜3着独占以来の記録達成。しかも4着のミナミホープはプリメロの仔ミナミホマレの産駒だった。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


タニノハローモア (1965-1985)
第35回('68)東京優駿優勝馬。父・ハロウェー、母・ジョオー。30戦9勝。
3強と呼ばれるアサカオーマーチスタケシバオーのいずれかが勝つと思われていた第35回東京優駿を9番人気で制したわけだが、3歳時の紅葉杯でマーチスを破って挑んだ阪神3歳Sでは1番人気に押されているのだから、実は勝たれても不思議ではなかったと言える。
その後は朝日CC、京都杯、中京記念を勝つなどしたが菊花賞後は大きいところに出ることなく4歳の3月に引退。しかしダービー馬にも関わらず熊本で種牡馬になることになり成功せずに廃用となった。
ちなみに全30戦中28回も掲示板に載る堅実さを誇った。しかも載らなかった2回というのも皐月賞菊花賞の6着。これはこれで凄いことだと思うんだがなぁ…。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17



<ち>
該当項目なし

<つ>
該当項目なし

<て>
【テンポイント】
テンポイント (1973-1978)
第27回('75)阪神3歳ステークス、第75回('77)天皇賞(春)、第22回('77)有馬記念優勝。その他に東京4歳S、スプリングS京都記念(春)、鳴尾記念京都大賞典。'75年最優秀3歳牡馬、'77年年度代表馬・最優秀5歳以上牡馬。父・コントライト、母・ワカクモ。18戦11勝(2着4回、3着1回)。'90年顕彰馬。
'77年有馬記念
'75年8月17日、函館でデビュー。芝1000mで後続を10馬身置き去りにする58秒8というレコード勝ち。続くもみじ賞でも9馬身差の圧勝。さらに西の3歳(現馬齢表記で2歳)チャンピオン決定戦である阪神3歳Sも7馬身差で大勝する。母があのワカクモということもあり、関西のファンは大きな期待をかけることになる。
翌年2月15日、東京4歳Sに出走し、のちのダービー馬クライムカイザーを1/2馬身抑えて優勝。続くスプリングSも勝ち、デビューから5連勝で皐月賞に挑むこととなった。しかしこの年の春、ストライキが起こりその関係で皐月賞は予定より1週遅れで開催されることになる。これが微妙に影響し、本調子で臨むことができず敢無くトウショウボーイの2着に敗れる。
続くダービーでは人気がトウショウボーイと入れ替わり、初めて1番人気から外れることとなる。しかも主戦騎手の鹿戸明は調教中の落馬事故で骨折のため武邦彦に乗り替わっている(ちなみに武邦彦はライバルのトウショウボーイにものちに騎乗しており、テンポイントと両方の背中を知る唯一の騎手である)。そしてレースでは生涯唯一の着外7着に終わるどころか、レース後に骨折が判明。幸い骨折の程度は軽いもので陣営は菊花賞を目標にすることとなる。
秋初戦の京都大賞典を3着後に迎えた菊花賞では、向正面から3コーナーに差しかかるあたりで仕掛けていったトウショウボーイを積極的に追いかけ直線で内からトウショウボーイをかわし、誰もが「テンポイントが勝った!」と思ったところを、さらに内からグリーングラスに差されて2着に敗れた。また、続く有馬記念では再びトウショウボーイの2着に敗れ苦汁をなめる結果となり、4歳(旧馬齢表記)は結局無冠に終わる。
明けて5歳(旧馬齢表記)、注目の天皇賞(春)を制したのはテンポイントだったが、トウショウボーイが不在だったため、陣営はトウショウボーイを倒さないと本当の頂点に立ったとは言えないと考えていた。続く宝塚記念天皇賞馬としてトウショウボーイを迎え撃ったのだが、ここでもトウショウボーイの2着に敗れ、鹿戸明はじめ陣営は打倒トウショウボーイに執念を燃やすことになる。
'77年有馬記念
'77年、第22回有馬記念トウショウボーイはこのレースを最後に引退することが決まっていた。陣営としてはここでトウショウボーイを倒さねば「テンポイントはトウショウボーイに敵わなかった」と言われ続ける。死んでも勝つと意気込んでいた。スタートが切られると、ハナに立ったのは快速馬スピリットスワプスではなく、なんとトウショウボーイ。これに鹿戸明は武邦彦トウショウボーイに執拗に絡んでいった。牽制しあって脚を温存するなどという駆け引きは一切ない。激しい攻防が、1コーナーから2コーナー、そして向こう正面と、延々と続く。直線で抜け出したのはテンポイント。抜かれたトウショウボーイも執拗に食い下がろうとする。そこに、レース前半では死んだフリをしていたグリーングラスが満を持して追い込んでくるも、2頭に割って入るには至らず。1着テンポイント、2着トウショウボーイ。最後の最後でテンポイントはトウショウボーイに勝利した。
年明けて'78年、日本最強馬となったテンポイントは海外遠征することとなり、その壮行的意味合いで日経新春杯に出走する。背負わされた斤量は何と66.5キロ。さすがの酷量にテンポイントの脚は悲鳴をあげ、4コーナーで骨折。その後、何とかせめて種牡馬として生かしたいということから懸命の治療が施されたが、3月5日午前8時40分に安楽死処分がとられた。
last update : 2007/04/20
first entry : 2005/07/23



<と>
【トウカイテイオー】【トウショウボーイ】【トウメイ】【トキツカゼ】【トキノミノル】【トクマサ】
トウカイテイオー (1988- )
第58回('91)東京優駿、第51回皐月賞、第12回('92)ジャパンカップ、第38回('93)有馬記念優勝、'91年年度代表馬。父・シンボリルドルフ、母・トウカイナチュラル。12戦9勝。'95年顕彰馬。
'93年有馬記念
安田隆行騎手(現調教師)を背にデビュー。その後もこのコンビで皐月賞ダービーを勝ち、父・シンボリルドルフと同じ無敗で二冠馬に輝く。(ダービー後に骨折が判明。三冠に挑戦できなかった)
4歳になり復帰戦の大阪杯に向けて、鞍上岡部幸雄を迎えることに。わざわざ調教に岡部が栗東まで駆けつけ、いつもインタビューでは淡々とした受け答えしかしない岡部を「地の果てまでいっちゃうかと…」と興奮ぎみに語らせた。
その後は天皇賞を春・秋ともに惨敗するも、ジャパンカップで優勝。JC史上唯一の父子制覇、そして唯一のJC2勝を岡部にもたらした。が、岡部がその後に騎乗停止を受けたため、有馬記念田原成貴に乗り替わったがスタートで失敗し腰を痛めて惨敗。1年の休養を余儀なくされる。
中1年というローテーションで挑んだ有馬記念を、それも岡部のビワハヤヒデを差し切って優勝。“奇跡”とマスコミに騒がれた。またレース後にインタビューを受ける田原に、人目をはばからず(というか人目があるからこそ?)涙を流させた。また惚れ込んでいたテイオーに敗れた岡部には、「テイオーに負けて悔しくないか?」の問いに、「他のに負けるくらいならテイオーに負けた方がいい」と言わせた。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


トウショウボーイ (1973-1992)
第36回('76)皐月賞、第21回('76)有馬記念、第18回('77)宝塚記念優勝、その他に神戸新聞杯京都新聞杯高松宮杯。'76年年度代表馬。父・テスコボーイ、母・ソシアルバターフライ。15戦10勝(2着3回、3着1回)。'84年顕彰馬。
'76年皐月賞
'76年1月31日という遅いデビュー(この新馬戦は伝説の新馬戦と呼ばれる)。しかしデビューから4連勝で皐月賞を制覇。このときの皐月賞はストライキの影響でレース施行が1週間遅れてしまい、1番人気のテンポイントは調子がピークを超えてしまった。一方のトウショウボーイはうまく調整でき、本番ではテンポイントに5馬身もの差をつけて圧勝。のちに「ストライキを知っていたトウショウボーイ、知らなかったテンポイントと言われた。
皐月賞のレースぶりからダービーは確実と言われたが、加賀武見騎乗クライムカイザーの急襲に遭い敢無く2着。レース前にヤネの池上昌弘が「他馬に寄られるとひるむところがある」というコメントしていたのを加賀が見逃すはずがなかった。勝てるはずのダービーを取り逃した。
札幌記念を使った(2着)あと、ヤネに福永洋一を迎え、神戸新聞杯京都新聞杯を連勝。特に神戸新聞杯は1.58.9という当時としては破格のレコードとあって、菊花賞では1番人気に。しかしテンポイントに先着され、後にTTGの一角として名を馳せるグリーングラスに優勝をさらわれ3着となっている。(福永洋一杉本清にレース前「トライアル2つも勝ったんだから十分でしょう」と菊花賞で負けることを予感しているかのような口ぶりで話したそうである)
その年の暮れ有馬記念へ出走。このときからヤネは武邦彦。エリモジョージ、アイフル、ハーバーヤング、フジノパーシアら古馬を敵に回して1番人気に推され、そしてレコードで勝利。この年の年度代表馬に選ばれた。
年が替わって'77年。トウショウボーイの年明け初戦は宝塚記念。頭数こそ6頭と少なかったが、天皇賞(春)を勝って意気高揚のテンポイント菊花賞グリーングラス天皇賞アイフル、のちの天皇賞馬ホクトボーイ、ダービー馬クライムカイザーという豪華メンバー。人気こそテンポイントに譲ったが、レースでは3/4馬身先着で優勝。3着もグリーングラスとTTGで決まった宝塚記念であった。
その後3戦使って迎えた'77年の有馬記念。レースは最初からテンポイントとのマッチレース。一歩も譲らない武邦彦、果敢に攻める鹿戸明。終始レースはこの2頭の競り合いで進み、最後の直線、わずかにテンポイントが前へ。もう一度差し返すトウショウボーイ。そこへ外から急襲するグリーングラス。1着テンポイント、3/4馬身遅れてトウショウボーイ、さらに1/2馬身遅れて3着グリーングラス。30年経った今でも日本競馬史上最高と言われるレースである。敗れこそしたが、トウショウボーイも負けて強しという内容の名勝負である。
'77年の有馬記念を最後に引退したトウショウボーイは種牡馬入り。日高軽種馬農業協同組合でシンジケートが組まれた関係で競走成績からすると格安の種付け料で、そして尚且つコンスタントに走る産駒を輩出。トウショウボーイの子供なら例外なく高く売れて牧場を潤し、生産者からは「お助けボーイ」と呼ばれた。主な代表産駒は、 ミスターシービー(三冠馬天皇賞(秋))、 ダイイチルビー(安田記念スプリンターズS)、 シスタートウショウ(桜花賞)、 アラホウトク(桜花賞)、 サクラホクトオー(朝日杯3歳S)、 パッシングショット(マイルチャンピオンシップ)、 ダイゼンキング(阪神3歳S)、 セキテイリュウオー(金杯・東、東京新聞杯)、 その他多数。'92年、蹄葉炎を発症し予後不良
last update : 2007/04/20
first entry : 2005/07/22


トウメイ (1966-1997)
第64回('71)天皇賞、第16回('71)有馬記念優勝、'71年年度代表馬、最優秀5歳以上牝馬。他に第29回('69)桜花賞2着、第30回優駿牝馬3着。父・シプリアニ、母・トシマンナ。31戦16勝。
血統は良かったが、産まれた時はオーナーがすぐに決まらないほどガリガリに痩せ細っており、「ネズミ」と呼ばれただった。
古馬になってマイラーズCを連覇するなど、「マイルの女王」と呼ばれるようになるが、5歳の秋に果敢に天皇賞に挑戦。無謀とも思われたが、'62年のクリヒデ以来の牝馬による天皇賞制覇を遂げ、さらに'60年スターロッチ以来の牝馬による有馬記念制覇まで果たした。決してメンバーが手薄だった訳ではなく、'69・'70年有馬記念2着のアカネテンリュウや'69年ダービーダイシンボルガードなどを打ち負かしてのものである。(有馬記念は関東に感冒があったため多少手薄ではあった…)
'71年天皇賞(秋)
'59年のガーネット以来の牝馬による天皇賞有馬記念連覇を成し遂げた後、繁殖入り。ルイスデールとの間に産まれたテンメイが日本競馬史上唯一の母子天皇賞制覇を果たしている。
ちなみに、天皇賞を前に距離不安を感じたヤネの清水英次騎手が、桜花賞オークスで手綱をとった高橋成忠騎手に相談すると「マイルを二度乗るつもりで回って来い!」というアドバイスを貰ったという。こんなアドバイスで勝てるくらいなら苦労しないよなぁ…。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


トキツカゼ (1944-1966)
第7回('47)皐月賞、第8回優駿牝馬優勝馬。他に第14回ダービー2着。父・プリメロ、母・第五マンナ。30戦11勝。'84年顕彰馬。
皐月賞に牝馬でただ1頭挑戦し、2着に6馬身も引き離して圧勝。しかもその相手が後のダービーマツミドリ。ダービーでは敗れたとはいえアタマ差2着。秋のオークスにも優勝するなど、牝馬相手では敵なしだった。
繁殖牝馬としても、オートキツ(日本ダービー)、オンワードゼア(天皇賞(春)、有馬記念)と2頭の年度代表馬を出した。'84年にその競走成績と繁殖成績を認められ、顕彰馬に選出された。繁殖成績を理由に顕彰馬に選出された牝馬はトキツカゼただ1頭。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


トキノミノル (1948-1951)
第18回('51)東京優駿優勝馬。他に第11回皐月賞優勝。父・セフト、母・第弐タイランツクヰーン。10戦10勝。'84年顕彰馬。
「パーフェクト」という名でデビュー。以後、皐月賞までレコード続出の大楽勝。東京優駿では初めて道中先頭を奪われたが向正面で先頭に立つと、そのまま楽々とレコードで勝ってしまった(これが何と7回目のレコード勝ち)
オーナーで、大映社長の永田雅一氏は「菊花賞を勝ってアメリカに遠征する」と豪語したが、トキノミノルはダービー制覇から数日後に破傷風にかかり、必死の治療で一時は回復の兆しもあったが、ダービー優勝から17日後に死亡した。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


トクマサ (1933-??)
第5回('36)東京優駿、'36年春・横浜帝室御賞典競走優勝馬。他に、第11回('37)目黒記念(春)、第3回('37)中山記念(秋)優勝。父・トウルヌソル、母・種正。全姉に'35年春・阪神帝室御賞典競走優勝馬キンチヤン。27戦9勝。
東京優駿で5番人気だった同馬の単勝払い戻しは、法定の最高金額200円を超えてしまい、東京優駿史上初の特払い9円50銭が出た。なお当時は馬券が20円で売られ、同レースの1着賞金は1万円、売得金高19万0100円という時代である。
ちなみにこのレース、1〜4着を下総の御料牧場の生産馬が占めた。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17




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