「楡馬」版−競馬辞典

―― 馬編 ――
last update : 06/10/19


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該当項目なし

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【シンザン】【シンボリクリエンス】
シンザン (1961-1996)
'64年三冠馬。他に第6('65)回宝塚記念、第52('65秋)回天皇賞、第10('65)回有馬記念優勝。'64・'65年年度代表馬。父・ヒンドスタン、母・ハヤノボリ。19戦15勝(2着4回)。'84年顕彰馬。当時、八大競走で牡馬が最大限勝てるレースが5つで、それを全て制したことから「五冠馬」と呼ばれる。担当厩務員は後に調教師となる中尾謙太郎調教師。
取引額は当時としては高額の320万円。生後すぐにその資質を見込んだ武田文吾厩舎に入厩。馬名は、武田文吾の孫・栗田伸一の「伸」の一字と、「山のようにどっしりしただから」ということで「伸山」から付けられたという。「神讃」「神賛」は後に武田が付けたもの。
名前に孫から一字取るほどなのに、武田はさほど期待していなかったようで、同期で最初に期待していたのはミスオンワードの仔オンワードセカンドだった。阪神3歳Sにもオンワードセカンドは出走させたが、シンザンは出さなかったほど(しかし、栗田勝だけは「コダマより強い」とシンザンの素質を見抜いており、武田からオンワードセカンドとどちらに乗るか、と聞かれた際にはシンザンに乗ると即答している。)。無敗で東上して臨んだスプリングSでも武田は期待のなさから東京へ帯同していない。が、シンザンはここも勝って武田を驚かせる。遂に武田はシンザンの実力を認め、「シンザンに申し訳ないことをした」と反省。評価する以前はシンザンをコダマと比較して「コダマはカミソリ、シンザンはナタの切れ味」と言っていたが、この頃から「ただしシンザンはヒゲを剃れるほどの切れ味を持ったナタ」と付け加えるようになった。
その後、セントライト以来23年ぶりの三冠馬となるが、決して獲るべくして獲った三冠でもなかった。皐月賞は運が良かった。というのも、最後の直線でいち早く抜け出したのはシンザンだったが、脚色では2着のアスカのほうが断然勝っていた。アスカは4角でゴチャつき、出すに出せない状況を何とか覆して3/4馬身まで迫ったところがゴールという、悔やんでも悔やみきれない負け方。シンザンには三冠の中で一番危ないレースだった。菊花賞は、夏を放牧に出さずに自厩舎のある京都競馬場で過ごしたところ、猛暑が祟って夏負けにかかり、前哨戦2レースを敗北。人気も2番人気になるなど菊花賞は勝てないと思われた菊花賞に挑戦した二冠馬で1番人気にならなかったのはシンザンとノド鳴りを患ったタニノムーティエだけ)
三冠馬となった翌年には、天皇賞(秋)と有馬記念を勝ったが、素直に評価していない人物がいる。加賀武見である。シンザンは春を休養したため、天皇賞(春)には出ていない。京都所属なのだから、秋ではなく春に出るほうが有利なのだが自重したのには休養とは別の理由があるという。それは関東馬のアサホコを恐れたためだと。 アサホコは本格化こそ遅れたが、5歳(旧馬齢表記で6歳)になって重賞を4連勝。シンザンのいない天皇賞(春)の本命となり、1番人気に応えて楽勝している。その後アサホコは休養することになり有馬記念でシンザンと闘うことができず翌年引退。加賀は今でも、アサホコならシンザンに勝てていた、と言っているらしい。ちなみに、天皇賞(春)不出走の理由を武田文吾は「シンザンが走りたくないと言っている」と述べている。
引退後は種牡馬となった。内国産種牡馬冷遇の時代にあって、'78年の5位を最高にリーディングサイアーのトップ10に7回入るなど一定の活躍を見せた。シンザン産駒は、レコード5回のスガノホマレや日本で初めて芝2000mで2分の壁を破ったシルバーランドなどに代表されるように総じてマイルから2000mを得意とするスピード馬が多く、また故障も多かった(スピードが卓越しすぎて体がついていかなかったという説がある)ことから大レースを勝つが出なかった。しかし晩年の'81年に菊花賞を勝ったミナガワマンナ、'85年に皐月賞菊花賞を勝ったミホシンザンを出した。産駒の重賞勝利49勝はトウショウボーイの43勝を上回り、戦後の内国産種牡馬で1位。また'69〜'92年の産駒24年連続勝利は、ノーザンテーストに次ぐ記録である。
'87年に種牡馬引退の後は谷川牧場で余生を過ごした。同期の牝馬二冠カネケヤキと長寿記録を競い、カネケヤキはサラブレッド最長寿記録を塗り替えた約1ヶ月後に亡くなるが、シンザンはその後も命を永らえ、'96年5月3日にアングロアラブのタマツバキが持っていた軽種馬最長寿記録を塗り替えた後、同年7月13日、老衰により永眠。35歳3ヶ月11日の記録は現在も破られていない。
last update : 2006/10/19
first entry : 2006/10/19


シンボリクリエンス (1985-??)
第108('92春)・109('92秋)回中山大障害優勝馬。他に第71('91春)・72('91秋)回東京障害特別。父・モガミ、母・スイートスワニー。40戦10勝(うち障害20戦7勝)。'91・'92年最優秀障害馬。
それにしても2002・2003年の年度代表馬とそっくりな馬名だ…(2文字違い?)馬名審査で何にも言われなかったのだろうか。まぁそっくりさんの方のデビューはクリエンスの引退から8年が経過してたからな。それでもクリエンスがちょっと可哀相…。
last update : 2006/06/15
first entry : 2006/06/15



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【スウヰイスー】【スゲヌマ】【スピードシンボリ】
スウヰイスー (1949-??)
'52年の桜花賞オークスの二冠牝馬。父・セフト、母・武兆。51戦27勝(うち地方16戦9勝、一部不明)
オーナーは女優の高峰三枝子(と言われても私はよく存じませんが、有名な方だそうで…)桜花賞オークスの二冠を制した初めてので、菊花賞も半馬身差の2着。桜花賞2着馬レダ、3着馬クインナルビーがそれぞれ翌年天皇賞の春秋を制していることを考えれば、ずば抜けた牝馬であったのは間違いない。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


スゲヌマ (1935-??)
第7回('38)東京優駿、第4回('39)帝室御賞典(春)優勝馬。父・プライオリーパーク、母・国宝(サラ系)。23戦12勝。
'83年三冠馬ミスターシービーで有名な千明牧場の生産馬。馬主の千明賢治の息子・千明康は第30回('63)メイズイで、孫の千明大作は第50回('83)ミスターシービーでそれぞれ東京優駿を勝っており、馬主の親子三代での日本ダービー勝利は唯一の例である。
東京優駿優勝後、帝室御賞典も制した。4歳で迎えた目黒記念(秋)で、74キロを背負いながら1位入線。しかし興奮剤が検出され失格となった。これが元で引退となり種牡馬入り。'45年に廃用。終戦直後の混乱期のなか行方不明となった。
last update : 2006/04/12
first entry : 2006/04/12


スピードシンボリ (1963-1989)
第55回('67)天皇賞(春)、第14・15回('69・'70)有馬記念優勝、'67・'70年年度代表馬。父・ロイヤルチャレンジャー、母・スイートイン。43戦17勝(うち海外4戦0勝)。'90年顕彰馬。重賞12勝はオグリキャップ、テイエムオペラオーと並んでJRA記録。
こののイメージと言えば大きく2つある。1つは“海外挑戦”。オーナーの和田共弘と海外での全レースに騎乗した野平祐二騎手の海外志向から果敢に海外へ出向いた。4歳時、天皇賞(春)を制したのを契機に、タケシバオーですら勝てなかった米国・ワシントンDCインターナショナルに挑戦するも5着。(5歳時は日本でコンスタントに走り、) 6歳になって英国・KジョージY&QエリザベスSで5着、続いて仏国・ドーヴィル大賞典と凱旋門賞で10着。
もう1つのイメージは“シンボリルドルフ”。三冠馬の母の父としては有名なスピードシンボリだが、しかし種牡馬としてはピュアーシンボリ(ダイヤモンドS2回、ステイヤーズS)くらいしか成功した産駒はいない。しかし過去4頭しかいない有馬記念連覇をスピードシンボリとシンボリルドルフがやってのけているのは特筆モノ。
ちなみにスピードシンボリは有馬記念に3〜7歳にかけて5年連続で出走している。これだけでも凄いことだが、3・4・3・1・1着という成績を超えるはもう出てこないだろう。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17



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【セイユウ】【セントライト】
セイユウ (1954-1977)
第11回('57)セントライト記念、第16('57春)・17('57秋)回読売カップ優勝の25%アングロアラブ。父・ライジングフレーム、母・弟猛。全弟に読売カップ2回、タマツバキ記念2回優勝のシュンエイ。49戦26勝。'56・'57年最優秀アラブ。'85年顕彰馬。アングロアラブで唯一の顕彰馬。
デビュー戦こそ2着に敗れたが2戦目で初勝利。その後、15連勝を含む、対アングロアラブ戦「21勝2着2回3着1回着外ゼロ」を誇った。
3歳の夏に初めてサラブレッド競走に挑戦。いきなり七夕賞福島記念と連勝。さらにはセントライト記念まで勝ってみせた(後の菊花賞馬ラプソデー、天皇賞馬セルローズらを破ったことから、クラシック登録がなくて不出走だった菊花賞に出ていれば勝ったのでは…と言われる)。 年末にアラブ重賞の最高峰・読売カップの春秋連覇を果たす(有馬記念のファン投票では3位に推されたが自重した)と、「これでアラブに敵無し」と以降は全てサラブレッドに挑んだ。 結局、サラブレッド相手に通算5勝を挙げた。最後のレースとなった第38回('58)天皇賞(秋)では9頭中7着と敗れたが、騎乗した渡辺正人は後に「スタートしてすぐに引っ掛けられて脚を痛め、他馬の迷惑にならないように外外を回った。それで7着したのだから、まともだったら…」と語っている。
'59年から種牡馬として供用され、初年度は94頭、以後は毎年100頭超で、'66年には238頭の「世界レコード」を樹立した(のちに同じアングロアラブのタガミホマレが270頭を記録した)。代表産駒は、ヒメカップ(タマツバキ記念2回・アラブ大賞典)、オーギ(読売カップ2回、アラブ王冠)など。
last update : 2006/06/15
first entry : 2006/06/15


セントライト (1938-1965)
'41年三冠馬。父・ダイオライト、母・フリツパンシー。 兄にタイホウ('34年春・横浜帝室御賞典競走、第5回目黒記念(春))、 半弟にクリヒカリ(別名:アルバイト)(第4回横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)、第13回帝室御賞典(秋))、 トサミドリ(第9回皐月賞、第10回菊花賞)。 12戦9勝(2着2回、3着1回)。'84年顕彰馬。生涯獲得賞金8万7400円。日本競馬史上初の三冠馬
'41年菊花賞
三冠はいずれも完勝で、特に東京優駿は騎手の小西喜蔵が「どれほど離れているか」と後方を振り向ける8馬身差の楽勝だった。
当時にしては珍しく3歳暮れに引退、種牡馬入り。種牡馬としては天皇賞馬オーライト、オーエンス、菊花賞馬セントオーなどを輩出。惜しむらくは晩年、生産牧場であり繋養先の小岩井農場が馬産を中止して肌馬に恵まれなかったことである。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17



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該当項目なし


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