「楡馬」版−競馬辞典

―― 馬編 ――
last update : 06/04/14


<ま>
【マーチス】【マツミドリ】【マルゼンスキー】
マーチス (1965-1988)
第28回('68)皐月賞優勝、'68年最優秀4歳牡馬。父・ネヴァービート、母・クツツ。31戦14勝。元祖3強の1頭。
阪神3歳Sを制し、関西のクラシック候補筆頭に。タケシバオーアサカオーと3強を形成。スプリングS皐月賞NHK杯タケシバオーに3連勝。ダービーではタニノハローモアタケシバオーアサカオーに次ぐ4着となるが、同時開催を除く春の重賞に全て出走を果たす。
その後、札幌記念2連覇や目黒記念勝ちなどしたが、古馬になってからはタケシバオーに歯が立たず、勝ちきれないレースが続き引退。鹿児島で種牡馬となるが成功することはなかった。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


マツミドリ (1944-??)
第14回('47)東京優駿優勝馬。父・カブトヤマ、母・栄幟。23戦9勝。
戦後初のダービー馬にして、「ダービー馬はダービー馬から」を初めて実践した
しかし、マツミドリの東京優駿優勝を受けて創設された父カブトヤマを記念する競走であるカブトヤマ記念では6着に敗れた。
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マルゼンスキー (1974-1997)
第28回('76)朝日杯3歳S優勝、'76年最優秀3歳牡馬。父・Nijinsky 、母・シル。「持込馬」規定の時代に現れた悲運の名馬。'90年顕彰馬。通算8戦8勝。
スピードの絶対的な違いを見せつけて他馬を寄せ付けずに勝つため、マルゼンスキーが出るレースは他陣営が次々と回避した。全8戦の平均出走数は6.625頭。マルゼンスキーの敵はレース不成立だったとも言える。
このの悲運は持込馬規定に尽きる。この年の牡馬三冠の各優勝馬がハードバージ、ラッキールーラ、プレストウコウだったことを考えると、出られればシンザンに次ぐ三冠馬になっていたに違いない。全レースに騎乗した中野渡清一騎手(現調教師)賞金はいらない。大外枠でもいいからダービーに出させて欲しい」と言ったことはあまりに有名。出ていればおそらく勝っていたと言われている。
競走馬としては活躍の大舞台を与えられなかったが、種牡馬として大成。サクラチヨノオーが東京優駿、ホリスキーとレオダーバンが菊花賞、その他にもスズカコバン、ニシノスキー、カリブソング、サクラエイコウオーなど多数の重賞勝ち馬を送りだした。ウイニングチケット、スペシャルウィーク、ライスシャワーなど、母の父としても優秀。日本生産界を大きく変えたといっても過言ではない。
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<み>
【ミスターシービー】【ミスターシービー】【ミナミホマレ】【ミハルオー】【ミラクルユートピア】
ミスターシービー (1934-??)
第6回('37)東京優駿10着馬。父・プライオリーパーク、母・フアーストストツプ。
馬名の「ミスターシービー」の“シービー”とは、「Chigira Bokujo」の頭文字であり、生産牧場である千明牧場を代表する、という意味である。しかしその期待に反して東京優駿では10着に終わる。翌年、同じ牧場の生産、同じ千明賢治の持ちで、騎手・調教師が同じ中村広という組み合わせでスゲヌマ東京優駿を勝って念願が果たされた。
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ミスターシービー (1980-2000)
'83年三冠馬、第90回('84)天皇賞(秋)優勝馬。'83年年度代表馬、最優秀4歳牡馬、最優秀父内国産馬、'84年最優秀父内国産馬。父・トウショウボーイ、母・シービークイン。15戦8勝。'86年顕彰馬。
'83年菊花賞
美浦・松山康久厩舎からデビュー。以来、全レースを吉永正人が手綱をとった。共同通信杯4歳S、弥生賞とそれぞれ1番人気で勝ち、クラシック戦線の本命に推される。皐月賞は不良馬場を追い込んで勝ち、東京優駿では出遅れて最後方のスタートとなるものの直線やはり追い込んで優勝。菊花賞では3コーナーの上り坂からロングスパート、下り坂でまくりながら押し切るという常識破りなレースで勝利。'64年のシンザン以来19年ぶりの三冠馬となった。
古馬になって最初のレースは毎日王冠。南関東三冠馬サンオーイとの対戦が話題となったが、同期のライバル・カツラギエースを捕まえられず2着に敗れるも、当時では破格の上がり3ハロン33秒7を計時。その後の天皇賞(秋)では優勝。シンザン以降続いていた1番人気の連敗を19でストップさせた。しかしこれが最後の勝利で、その後はジャパンカップ10着、有馬記念3着、翌年大阪杯2着、天皇賞・春5着で引退となった。
種牡馬となり、ヤマニングローバル(アルゼンチン共和国杯、デイリー杯3歳S)、メイショウビトリア(ステイヤーズS)、スイートミトゥーナ(クイーンC)、シャコーグレイド(皐月賞2着)などを輩出したが、自分以上の産駒を出せずに2000年死去。
ちなみに、父と母はデビュー戦が同じレースだった(“伝説の新馬戦”と呼ばれる)。ミスターシービーは母シービークインの初仔なのだが、シービークインにはその後何を種付けしても不受胎となり、繁殖引退するまで第2子が誕生せず「初恋の人(トウショウボーイ)に操を立てた」と言われた。6頭いる三冠馬の中で兄弟がいないのはミスターシービーだけ。また、父が内国産馬なのもミスターシービーだけ。
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ミナミホマレ (1939-1962)
第11回('42)東京優駿優勝馬。父・プリメロ、母・フロリスト。半兄に'31年秋・東京帝室御賞典競走優勝馬ハクリュウ、'33年秋・横浜帝室御賞典競走優勝馬ハクセツ、'34年春・小倉帝室御賞典競走優勝馬スターカツプ、第4回東京優駿2着、'35年秋・横浜帝室御賞典競走優勝馬アカイシダケ。4戦3勝。
横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞でアルバイトに敗れたが、東京優駿では同馬をゴール前で逆転。
ライバルのアルバイトは、前年の三冠馬セントライトの半弟にして同じ小岩井農場の生産馬。セリではアルバイトが4万9100円の最高価格に対してミナミホマレが4万円。またオーナーの所有馬ミナミモア('42年春の帝室御賞典優勝馬)が前年の東京優駿セントライトの2着となっていた、という因縁があった。
last update : 2005/07/17
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ミハルオー (1945-??)
第15回('48)東京優駿優勝馬。他に第19回('49)天皇賞(春)。父・月友、母・第参フラツシングラス。19戦13勝。
'48年7月に日本競馬会が解消されたため、日本競馬会としての最後のダービーを勝ったということになる。
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ミラクルユートピア (1931-??)
父・クラツクマンナン、母・エミール。3戦3勝。阪神のデビュー戦でレコード勝ち。次のレースもレコードで制し、東上して臨んだレースがなんと帝室御賞典競走。しかも前年の東京優駿カブトヤマ以下にこれまたレコードで楽勝。これで一気に第3回東京優駿('34)の大本命に名乗りを上げた。
あまりの強さのために他馬が続々回避し、出走頭数が過去2回の半数の10頭となり勝利間違いなしとまで言われた。が、当日の朝に調教を行なったところ、右前肢を捻挫脱臼してしまい出走取消。競走能力も喪失してしまった。
有力馬を多数管理する尾形藤吉師をして「あのには敵わない」とまで言わしめたものの、結局その尾形師のが1〜3着を独占した東京優駿となった。
last update : 2005/07/17
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<む>
該当項目なし

<め>
【メイヂヒカリ】
メイヂヒカリ (1952-1980)
第1回('56)中山グランプリ(有馬記念)優勝馬。他に第16回('55)菊花賞、第33回('56)天皇賞(春)優勝。'54年最優秀3歳牡馬、'55年最優秀4歳牡馬、'56年年度代表馬・最優秀5歳以上牡馬。'90年顕彰馬。父・クモハタ、母・シラハタ。21戦16勝。
皐月賞直前に軽い脚部不安を発症。それでもダービーに出走させようとした馬主の新田新作(明治座社長)を、当時その競馬秘書を務めていた大川慶次郎氏が「秋には菊花賞を勝つだから自重しましょう」と進言したという。その菊花賞は10馬身差の圧勝。大川氏曰く「無事なら三冠を獲れた」。
last update : 2005/07/17
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<も>
該当項目なし


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