「楡馬」版−競馬辞典

―― 馬編 ――
Last Update 07/04/20


<か>
【カイソウ】【ガヴァナー】【カブトシロー】【カブトヤマ】
カイソウ (1941-??)
第13回('44)東京優駿優勝馬。父・月友、母・第二ベバウ(サラ系)。13戦8勝。
戦争の影響で「能力検定競走」として行なわれ、馬券の発売もなければスタンドに客もなく、わずかの軍人が見つめる東京優駿を勝った。そして北海道産のダービー馬第1号でもある。
カイソウは「能力検定競走」の長距離特殊競走(菊花賞)も1位入線を果たし二冠馬となったはずだった。しかし、例年なら淀のコースを内回りの後に外回りを走るところを、この年は内回りを2周することになっていた。それを全馬の騎手が例年通りのコースを走ったためにレース不成立、全馬失格となった。
菊花賞から2週間後の「一級種牡馬選定」に出走し15頭中12着に敗北。もともとサラ系ということもあり(母方の血統にトロッターが混じっていることが審査で明らかになり種牡馬失格となった)翌年、名古屋師団に売られ師団長の軍馬とされてしまい、5月14日名古屋を襲った空襲で行方不明となった。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


ガヴァナー (1932-1935)
第4回('35)東京優駿優勝馬。父・シアンモア、母・アストラル。全兄に2年前の優駿馬カブトヤマ、弟に第7回帝室御賞典(秋)優勝ロッキーモアー。3戦3勝。
ガヴァナー号
デビュー2戦目で4馬身差で楽勝。東京優駿では6馬身差の圧勝。血統も良く、どこまで強いのかと期待されたが、ダービーを制した2週間後、調教で骨折。安楽死処分となった。
ちなみにこのの厩務員は、同馬の死から数日後、担当馬に雨合羽を着せようとしたところに蹴られ、腸破裂で死亡している。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


カブトシロー (1962-1987)
第56回('67)天皇賞(秋)、第12回('67)有馬記念優勝馬。父・オーロイ、母・パレーカブト。69戦14勝。
人気になると凡走し、人気が下がると好走したことから、「新聞を読める」「オッズが解る」と言われた。
デビュー戦は7番人気で3着、複勝馬券が4桁配当で早くもその片鱗を見せる。続く2戦目で勝利を挙げるがやはり6番人気だった。皐月賞こそ12着だったが、東京優駿では18番人気で5着。その年の11月にカブトヤマ記念を7番人気で重賞初制覇する。 4歳になって3月に平場オープンを勝った後は20連敗。馬主に見放されてトレードに出されると、8番人気で天皇賞(秋)、4番人気で有馬記念を連勝した。馬券だけでなく、馬主をも欺いただった。その後は何かに目覚めたのか、平場オープンではあるが1番人気で4勝したが、大きいところを勝つことはなく引退した。
種牡馬としてゴールドイーグル(大阪杯マイラーズC、東海桜花賞)を出した。種牡馬登録を抹消する際に殺処分されそうになるところをファンからの抗議で救われ、日本軽種馬協会で余生を送って'87年に老衰で天寿を全うした。
last update : 2006/06/15
first entry : 2006/06/15


カブトヤマ (1930-1951)
第2回('33)東京優駿優勝馬。父・シアンモア、母・アストラル。29戦12勝(2着7回、3着6回)
カブトヤマの切手
産駒のマツミドリが第14回('47)東京優駿を制し、「ダービー馬はダービー馬から」を日本競馬史上初めて実践したとして、父内国産馬限定レース『カブトヤマ記念』にその名を残したが、同レースは2003年を最後に廃止。
このの調教師にして、レースで手綱をとっていた大久保房松騎手(当時、調騎兼業は当たり前)東京優駿当日、高熱を出し騎乗に自信が持てなかったためにオーナーに騎手交代を願い出た。ところがオーナーは「お前のために買っただから」と無理に乗せたという。オーナーの気前の良さもそうだが、その期待に応える騎手の技術と根性は特筆モノ。ええ時代や。
last update : 2006/03/21
first entry : 2005/07/17



<き>
【キンテン】
キンテン (1929-??)
第1回('34)中山大障害優勝馬。
中山大障害競走の発案者にして当時の中山競馬倶楽部理事長・肥田金一郎氏の持ちでもあった。東京優駿に負けない大レースとして設立された中山大障害だったが、このときの出走はわずか4頭。出走馬が集まらない、自分のは勝たない、では済まされない。キンテンが勝ってなんとか理事長は恥を掻かずにすんだわけである。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17



<く>
【クモノハナ】【クモハタ】【グランドマーチス】【グリーングラス】【クリフジ】
クモノハナ (1947-??)
第17回('50)東京優駿優勝馬。父・プリメロ、母・第参マンナ。他に第10回皐月賞優勝、第11回菊花賞2着。28戦9勝。
騎手を務めた橋本輝雄は第13回カイソウに続いてのダービー制覇で、初のダービー2勝ジョッキーとなった。
前年('49)に財閥解体の影響で馬産を中止した小岩井農場産の最後のダービー馬でもある。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


クモハタ (1936-1953)
第8回('39)東京優駿優勝馬。父・トウルヌソル、母・星旗。姉に帝室御賞典優勝馬クレオパトラトマス。21戦9勝。'84年顕彰馬。
2日前に初勝利を収めたばかりにも関わらず東京優駿に出走し勝ってしまった。今では絶対に出来ない離れ業だ。
姉がクレオパトラトマスということもあって3歳(現馬齢表記で2歳)セリで3万7600円の超高値がついた(東京優駿競走の1着賞金が1万円の時代)。オーナーの加藤雄策氏は後の三冠馬セントライトのオーナー。
種牡馬としても優秀で、'52〜'57年のリーディングサイアー。産駒の八大競走12勝。天皇賞馬7頭は現在も最高記録である。代表産駒は菊花賞天皇賞有馬記念(中山グランプリ)メイヂヒカリ。'53年に浦河を襲った馬伝染性貧血(伝貧)に罹患したことにより殺処分となった。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17


グランドマーチス (1969-1984)
第72('74)〜75回('75)中山大障害優勝馬。父・ネヴァービート、母・ミスギンオー。他に第43〜45回京都大障害優勝。63戦23勝(障害39戦19勝)。'74・'75年最優秀障害馬、'85年顕彰馬。障害馬として唯一の顕彰馬。
平地で4勝を挙げたのち入障。入障後は9連勝を含む19勝を挙げる。'74〜'75年にかけて京都大障害3連覇、中山大障害4連覇の偉業を達成。初の3億円ホースとなった。
平地の最後のレースは京都の万葉ステークス(芝3000m)福永洋一を擁して1番人気での勝利。平地で4勝するだけのスピードと、3000mを勝つスタミナを兼ね備えていた。それ以上に光っていたのは、馬術競技騎手がグランドマーチスの飛越を見て「まるで馬術の飛越のようだ」と褒めたほどの飛越の上手さだった。
障害戦39戦のうち36戦で手綱をとった寺井千万基がパートナー。障害専門の騎手免許を取得したのに、自厩舎には障害馬がいなかったので、伊藤修司調教師が彼のためにグランドマーチスを障害入りさせた、という話は当時美談として伝えられた。
グランドマーチスの引退後は日本中央競馬会に買い取られ、乗馬用の種牡馬となった。'84年9月10日、甲状腺癌により死亡。
last update : 2006/05/02
first entry : 2006/05/02


グリーングラス (1973-2000)
第37回('76)菊花賞、第77回('78)天皇賞(春)、第24回('79)有馬記念優勝。'79年年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬。父・インターメゾ、母・ダーリングヒメ。26戦8勝。
'79年有馬記念
デビューは風邪をこじらせた影響により'76年1月31日という遅いデビュー(この新馬戦は伝説の新馬戦と呼ばれる)。このとき後にライバルとなるトウショウボーイの4着に敗れる。かたやトウショウボーイはそのまま4連勝で皐月賞制覇するが、グリーングラスは3戦目で未勝利脱出。せめてダービーだけはということでNHK杯に出走するも12着敗退、と誰にも注目されないものであった。
その後2勝を挙げ、賞金ギリギリで出走がかなった菊花賞で、皐月賞トウショウボーイダービー馬クライムカイザー、復活の兆しが見えていたテンポイントの3強を下し優勝する。21頭中12番人気の低評価だった(単勝5250円は今でも菊花賞レコード)。これがTTG3頭が初めて顔を揃えたレース。
5歳(現在の馬齢表記では4歳)になってAJC杯レコード勝ちするも天皇賞(春)ではテンポイントの4着に敗れる。続く宝塚記念ではトウショウボーイテンポイントに及ばず3着。 その後夏負けのため、ぶっつけで天皇賞(秋)に挑戦。トウショウボーイに続く2番人気に支持されたが、そのトウショウボーイと競り合う形で暴走して末脚をなくし、後方待機していたホクトボーイの5着に惨敗した(それでもトウショウボーイには先着した)
'77年暮れの有馬記念。TTG3度目にして最後のレースは今も日本競馬史上最高のレースと言われる。レースは序盤からトウショウボーイテンポイントとのマッチレース。グリーングラスはいつ仕掛けるかを図りながらのレース運び。直線手前、テンポイントが僅かリードしたところでグリーングラス仕掛ける。そして直線一気に追い込むも、テンポイントトウショウボーイから僅か3/4、1/2馬身差の3着。ちなみに4着に入った菊花賞馬プレストウコウとは6馬身もの差がついた。
6歳(旧馬齢表記)になり、トウショウボーイ引退、テンポイント事故死と、ライバルがいなくなった後を受けての天皇賞(春)を完勝。7歳(旧馬齢表記)の暮れに有馬記念も勝利。26戦して着外はたった2回と堅実に走った。
引退後は種牡馬入り。筋金入りのステイヤー血統だけに、トウショウボーイのような成功は収められなかったが、'85年エリザベス女王杯でリワードウィングが勝った他、AJC杯と金杯に勝ったトウショウファルコを出すなど中級馬を中心にそれなりの産駒を残した。
last update : 2007/04/20
first entry : 2005/07/17


クリフジ (1940-1964)
第12回('43)東京優駿優勝馬。父・トウルヌソル、母・賢藤。全兄に'36年秋・東京帝室御賞典競走優勝馬リョウゴク、第1回('37)帝室御賞典(現・天皇賞(秋)優勝馬ハッピーマイト。通算11戦11勝。
東京優駿の他に阪神優駿牝馬(現・オークス、京都農林省賞典四歳呼馬競走(現・菊花賞も制し、変則三冠馬と言われている(デビューが5月16日のために皐月賞桜花賞には出走していない)
東京優駿では、バリヤーが上がった時にスタート地点で1周回ってから走り出したにも関わらず、最後には6馬身ちぎっての勝利。オークスでは桜花賞馬ミスセフトらを10馬身も引き離し、牝馬ながら菊花賞でも大差勝ちした。しかもオークスから菊花賞までの中1ヶ月の間に古馬と2戦もこなしていた。クリフジの無敵ぶりが窺い知れる。
繁殖面でも優秀で、イチジョウ(クモハタ記念)、ヤマイチ(桜花賞オークス)、ホマレモン(天皇賞2着、金盃)等を出した。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17



<け>
該当項目なし

<こ>
【ゴールデンウェーブ】
ゴールデンウェーブ (1951-??)
第21回('54)東京優駿優勝馬。父・ミナミホマレ、母・ユウコ。37戦16勝(うち地方11戦6勝)
父のミナミホマレダービーを勝っており、史上2組目の父子制覇。また騎乗した岩下密政は2人目のダービー2勝騎手に。
父子制覇や騎手のダービー2勝目に貢献するもどちらも史上2番目。しかしこの、史上初のことをやってのけている。それは「地方出身馬によるダービー制覇」。これは大いに胸を張っていい記録だ。
last update : 2005/07/17
first entry : 2005/07/17




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